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「B29」 のテレビ露出情報

リゾート地であるサイパン島のすぐ近くにあるテニアン島。テニアン島の主な産業は観光業で、牧畜・農業も行われている。人口は約2000人。この日サンホセ村のレストランでは87歳となった女性の誕生日パーティーが行われていた。テニアン島は現在は住民たちが支え合う平和な島となっている。ノースフィールドにはかつて発進基地があり、日本に投下された原爆はこの地で組み立てられた。原爆組み立て工場跡地は現在も残っており、原爆ピットには当時の写真が残されている。原爆投下部隊はアメリカ陸軍航空軍の第509混成群団で約1800人、その指揮をとったのは当時30歳のポール・ティベッツ大佐。1945年8月6日、午前1時45分に発進し、午前8時15分に広島に原爆が投下された。8月9日午前11時2分には長崎に原爆が投下され、日本が降伏した。原爆が勝利をもたらしたとし、ポールはアメリカの英雄となった。原爆犠牲者は約21万人で、生き延びた被爆者たちは後遺症やいわれのない差別に苦しみ、放射線による健康被害は今も続いている。
テニアン島の2月、佳子はテニアン島出身の男性と結婚し、36年前に移り住んでおり、6年前まではテニアン高校で日本語教師をしており、2005年には生徒たちを引き連れ原爆資料館で原爆被害の実態を学ばせていた。戦闘記念式典に出席したポール・ティベッツは司会者からはアメリカの英雄として出迎えられ、結果として自分たちは200から300万の人々の命を戦争を終わらすことで救ったのだなどと演説し、このポールの主張は長い間アメリカで多くの人々が支持していた。アメリカ軍によるイランの核施設攻撃についてトランプ大統領は本質的に広島・長崎の原爆投下と同じで闘いを終わらせる効果があったとした。テニアン高校の生徒達を取材した様子を紹介。ポール・ティベッツは原爆投下を肯定し続け、一方でだからこそ戦争は絶対に起こしてはいけないと言葉を残している。
テニアン島にはかつて多くの日本人が暮らしていた。テニアン島は1920年から日本が統治し、約1万5000人が移住し、その地はサトウキビ栽培に適し、市街地には映画館やカフェもあり、移住者の約7割が沖縄県出身であった。沖縄県中城村には戦前のテニアン島で暮らしていた新垣がいる。新垣は1934年にテニアン島で生まれであり、同級生は50人ほどいたという。1944年6月にサイパン・テニアン戦が始まり、アメリカ軍がテニアン島北部から上陸し、新垣一家は南部のカロリナスへ逃れていった。当時テニアン島では日本の軍と民間人が約1万5000人が亡くなったとされている。サイパンやテニアンでは当時、多くの人々が海に身を投げ自ら命を断っていた。新垣も両親に一緒に海に身を投げようと提案されるも、海に浮かぶ死体を目の当たりにし、山奥へ逃げると家族も一緒についてきてくれ、家族皆助かることが出来たなどと明かした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年5月9日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日
テレメンタリー2026(テレメンタリー2026)
今回は軍都80年〜ものづくりと防衛産業〜をお届け。名古屋はもともと軍需工業都市になったはその都市は空襲の標的になり多くの犠牲者を出した。防衛産業が新たな選択肢となり始めている。日本銀行本店には戦時中の軍事産業がどのように拡大していったのか、極秘資料が保管されている。資料の一つには名古屋の地図があり、市販の地図に薄紙を重ねることで極秘の地図が浮かび上がり、赤字[…続きを読む]

2026年4月30日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1927年にチャールズ・リンドバーグによる大西洋単独無着陸飛行が成功し、空の時代の到来を世界に告げた。アメリカでは飛行機やパイロットへの関心が高まり、カーティス・ルメイも関心を持つ者の1人だった。カーティス・ルメイはアメリカ陸軍航空隊に入隊した。その後、日本と戦争することになり、そこで航空戦が戦争の主役になるという現実を突きつけられた。フランクリン・ルーズベ[…続きを読む]

2026年4月9日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニング(ニュース)
太平洋戦争末期に海に沈んだ戦闘機「紫電改」がきのう、81年ぶりに引き揚げられた。1945年4月、林喜重大尉が搭乗していた「紫電改」は米軍の「Bー29」と交戦ののち、鹿児島県阿久根市沖に不時着水した。直後に終戦を迎え、「紫電改」はその後、海底で80年を超える眠りにつく。「紫電改」があった場所は沖合数百メートルの地点。戦争を風化させず、形として後世へ語り継ぐため[…続きを読む]

2026年4月8日放送 16:48 - 19:00 テレビ朝日
スーパーJチャンネル(ニュース)
午後2時半ごろ、太平洋戦争末期、実質的な日本海軍の主力機として期待を背負った「紫電改」が海底から引き揚げられた。1945年の4月、林喜重大尉が搭乗していた紫電改は米軍「B-29」と交戦の後、鹿児島・阿久根市沖に不時着水した。直後に終戦を迎え、紫電改は海底で約80年の眠りについた。紫電改があった場所は沖合数百メートル、水深約3mの地点で姿が確認できた。戦争を風[…続きを読む]

2026年4月6日放送 1:28 - 2:28 TBS
ドキュメンタリー「解放区」八十年後のいまを生きる私たちにできること
富山の入善町立飯野小学校にて佐藤進は小学生たちに富山大空襲のことを語り部として講演で伝えていた。2025年4月14日、佐藤は90歳の誕生日を迎えた。佐藤の孫である西田七虹は幼少期から佐藤から戦争の話を聞いて育ってきた。佐藤は10歳の頃、富山県富山市で富山大空襲にあい、家族全員で川に身を潜めて降り注ぐ焼夷弾から逃れた当時を振り返っていた。アメリカ・ニューオリン[…続きを読む]

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