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「BSコンシェルジュ」 のテレビ露出情報

国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソンは博識でソフトな語り口が人気を呼び、情報番組のコメンテーターなどで活躍した。モーリーさんは昭和38年、ニューヨーク生まれで父はアメリカ人医師・母は日本人の新聞記者だった。父の仕事の関係で日本とアメリカを行き来しながら育ったモーリーさんは被爆地・広島の小学校では同級生から心ない言葉をかけられることもあった。高校時代、アメリカの感覚でディスコ通いや男女交際をしていると不良のレッテルを貼られ自主退学することになった。富山県の高校に移ってからのめり込んだのがパンク・ロックであった。そして音楽を続けるため猛勉強を始め、昭和56年モーリーさんは東京大学・ハーバード大学・マサチューセッツ工科大学などの難関校に合格し東京大学に進学。天才少年と話題になり、念願だったメジャーデビューも果たした。しかしその後、方向性の違いからレコード会社との契約を解消。東京大学を中退し、ハーバード大学へ入学する。そこでは最先端の音楽や映像作りを学んだ。今度こそ自分の進むべき道が見つかったと思ったモーリーさんだがどこにも仕事がなく、その後モーリーさんは日本のラジオやインターネット配信で活動を始めた。人生の転機が訪れたのは平成18年、取材先で俳優の池田有希子さんと知り合い意気投合して事実婚となった。この出会いがモーリーさんをジャーナリストとして導いた。きっかけはあるプロジェクトでの体験だった。モーリーさんは撮影した映像を多くの人にみてほしいと奮闘し、様々な壁にぶつかりながらも自分の信念を貫きインターネットで公開した。その姿を見ていた有希子さんがジャーナリストになるよう勧めたのである。世界情勢をわかりやすく解説するモーリーさんは一躍人気コメンテーターになった。日本とアメリカで生活した経験を活かし、正確な情報を届けることにこだわった。モーリーさんは他にも様々な分野で活躍し、大河ドラマ「青天を衝け」ではペリー役を演じ注目を集めた。音楽活動にも変わらぬ情熱を注ぎ、様々なイベントなどでDJを務めた。ハーバード大学時代に学んだアナログシンセサイザーを使った音作りにも熱心に取り組んだ。自作の曲を使ったダンス動画も公開し、自分の軸は昔から変わることなくミュージシャンだという。モーリー・ロバートソンさんはどんな時も自分の信念を貫き、まっすぐにメッセージを届け続けた63年の障害であった。

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