震災から1週間、通水率はわずか3割、9万戸で断水が続いていた。24時間体制で復旧工事が進められていたが資材が届かず難航していた。リスナーからは水道の情報を求める声が押し寄せていた。FMいわきでは復旧した地域を伝えていたが、「何を放送してんだ?俺達が知りたいのは水が戻った場所ではなく、いつ水が出るかなんだ」という反応が帰ってた。安倍はすぐに水道局に向かい、工事の計画書を計画書を共有してほしいと訴えた。しかし担当者は頑として応じなかった。その頃水道局には早期復旧を求める市民の訴えが押し寄せていた。計画を公表し予定通りに進まなければ混乱する恐れがあった。しかし安倍は引かなかった。数日後、水道局は計画書の公表を決めた。ラジオで伝えると苦情は減っていった。放射性物質による健康被害への不安には専門家や研究機関に取材し伝えた。何よりも辛い放送は身元不明の遺体に関する情報提供の呼びかけだった。ラジオはただ情報を伝えればいいのではない。安倍はスタッフを集め「我々からリスナーにメッセージを届けよう」と話した。みんなで考え1つが選ばれた。それが「いわきをひとつに」だった。震災から2週間後、水道は通水率が6割まで到達した。FMいわきに「ようやく水が来ました。お風呂に入れない方に無償でシャンプーをします。ラジオで呼びかけてください」と電話が入った。水道が復旧した美容院からだった。店には数週間ぶりのシャンプーを待ちわびる人で長い列ができた。その後も支援を名乗り出る声が次々と届いた。FMいわきの24時間体制の放送は震災から2ヶ月に渡り途切れることなく続いた。
