番組が工藤聖真くんに出会ったのは2年前。当時は当時小学5年生だった。両親と祖父、兄の5人家族。特別支援学校に通い、点字のタイプライターが筆記用具。点字を使いこなしているが、覚えてまだ1年半ほど。聖真くんは生まれてまもなく両目にがんが見つかり右目を摘出。左目は治療で残すことができ視力もあった。3年生の時に左目のがんが再発。両親は放射線治療に望みをかけたが、左目も摘出し、両目の視力を失った。体を動かすことが大好きだった工藤聖真くんは視力をなくした生活でストレスがたまるばかりだった。そんな時、視覚障がい者のために考案されたボクシング「ブラインドボクシング」に出会った。全国でも20人ほどしか選手がいない、まだあまり知られていないスポーツ。アイマスクをつけた視覚障がい者が首から鈴をぶら下げた健常者のトレーナーを相手にする。ポイント制で2分間、鈴の音を聞いて相手の位置や距離を掴みながらパンチを打つ。コンビネーションができているか、闘志や気迫が感じられるかなどをジャッジする殴り合わない見せるボクシング。聖真くんは最年少の練習生。この時、まだ始めて半年ほど。動きは体に触れてもらいながら教わる。指導するのは元日本ライトフライ級1位・村松竜二さん。村松さん自身も左手首に障がいがありながらもプロボクサーを続けていた。ハンディキャップをものともしない村松さんは憧れの存在。「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」という言葉は心が折れそうになった時、思い出す合言葉。聖真くんは自宅でも練習を欠かさない。
ある日、東京・武蔵野市にあるプロボクサーも所属するフレア山上ボクシングジムを訪れた。ボクサーたちにブラインドボクシングを見てもらうことになった。聖真くんは人前で披露するのは初めて。元東洋太平洋スーパーバンタム級王者・和氣慎吾さんも見つめる。和氣さんが「いいパンチ打つなと思って感動した」と語った。ところが3か月後、左目のまぶたに再びがんが見つかった。聖真くんが6年生になったばかりだった。抗がん剤治療のため、入退院を繰り返す生活で復帰も分からない状況だった。それから3か月後、久しぶりに聖真君がジムに来ると連絡があった。この日からボクシングの練習を再開。自分が想像していた以上に体力は落ちていた。一方で学校も再開。聖真君が通う特別支援学校に視覚に障害がある同級生はいない。授業はいつも1人。歩行訓練も必須の授業。このとき視力を完全に失って2年ほど。1人で歩くことはまだまだ苦手。特に難しいのは信号のない横断歩道。トレーナーの村松さんが向かったのは地元の小学校。体育館にリングを持ち込みブラインドボクシングを披露するイベントを準備していた。同世代の子どもたちの前で2分のパフォーマンスをやる聖真君は練習に打ち込む。イベント当日、たくさんの子どもたちや家族連れが詰めかけた。ことし4月、聖真君は国立の盲学校の中等部に入学。寮生活をしながら勉強中。ボクシングも続けている。
ある日、東京・武蔵野市にあるプロボクサーも所属するフレア山上ボクシングジムを訪れた。ボクサーたちにブラインドボクシングを見てもらうことになった。聖真くんは人前で披露するのは初めて。元東洋太平洋スーパーバンタム級王者・和氣慎吾さんも見つめる。和氣さんが「いいパンチ打つなと思って感動した」と語った。ところが3か月後、左目のまぶたに再びがんが見つかった。聖真くんが6年生になったばかりだった。抗がん剤治療のため、入退院を繰り返す生活で復帰も分からない状況だった。それから3か月後、久しぶりに聖真君がジムに来ると連絡があった。この日からボクシングの練習を再開。自分が想像していた以上に体力は落ちていた。一方で学校も再開。聖真君が通う特別支援学校に視覚に障害がある同級生はいない。授業はいつも1人。歩行訓練も必須の授業。このとき視力を完全に失って2年ほど。1人で歩くことはまだまだ苦手。特に難しいのは信号のない横断歩道。トレーナーの村松さんが向かったのは地元の小学校。体育館にリングを持ち込みブラインドボクシングを披露するイベントを準備していた。同世代の子どもたちの前で2分のパフォーマンスをやる聖真君は練習に打ち込む。イベント当日、たくさんの子どもたちや家族連れが詰めかけた。ことし4月、聖真君は国立の盲学校の中等部に入学。寮生活をしながら勉強中。ボクシングも続けている。
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