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「LUNA SEA THE FINAL ACT TOKYO DOME」 のテレビ露出情報

LUNA SEAと30年以上の親交がある松岡はRYUICHIを兄貴と慕っており、インディーズ時代からLUNA SEAを知っており、当時からLUNA SEAは別格でメンバー全員がソロバンドを持っていて生え抜きのメンバーが揃っていたなどと語った。小学校高学年時にLUNA SEAを聴いて衝撃を受けたという菅原はDESIREのダーク・ミステリアス・激しさにハマったなどと伝えた。LUNA SEAはこれまで21枚のシングルと10枚のアルバムをリリースし、その殆どの楽曲の作詞作曲がLUNA SEAとバンド名義になっている。
LUNA SEAにインタビュー。曲作りについて、各々がベーシックな曲を作り、皆で意見交換して構築していっているなどと明かした。NOBUYAからの質問「ROSIERやDejavuの構成はどうやって生まれたんですか?」についてRYUICHIらはサビを沢山作りたく曲のどこを聴いてもサビになるように作ったなどと語った。菅原からの質問「リズムを食う(シンコペーション)アレンジを生み出した手応えは?」についてRYUICHIらは、シンコペーションを意識していたわけではなく伝えたい・前に行きたいという熱量が自然とそうさせていたなどと告げた。
プロが衝撃を受けた5人のプレイではNOBUYA・菅原は「Jのベース演奏に注目」だとし「END OF SORROW」などでのJのベースを紹介。Jはベースラインとして作っていたことはなく、ベースが自分の歌でありそれが伝わっていたら嬉しいなどと伝えた。真矢はドラムはリズム感より歌心を要求されることが多く、自分が好きなドラマーもリズムの正確さより歌心あるドラマーが好きで自分も意識しているなどと明かした。菅原はLUNA SEAのツインギターはそれぞれが違う方向からアレンジアプローチしつつ一つにまとめているためギタリストならずっと二人を見てしまうなどと話した。町田プレイハウス時代についてRYUICHIらは、当時は12畳ほどのスタジオで楽曲制作し、「BLUE TRANSPARENCY 限りなく透明に近いブルー」などが生まれたなどと語った。
有明・特設会場にあ集まったファンは10万人、LUNA SEA 10TH ANNIVERSARY GIG[NEVER SOLD OUT]CAPACITY ∞にLUNA SEAがヘリで登場。この本番3日前に数億円かけたセットが強風で崩壊し瓦礫と化したセットを前にライブを決行したLUNA SEAは壊れたセットを廃墟と見立ててファンを盛り上げた。セットが崩壊しても結構した理由についてLUNA SEAは、当時としては画期的で映像をたくさん使いスペクタクルなショーになるはずであったが、ネイキッドなLUNA SEAはインディーズ時代のライブハウスのようで良かったし、そんな状況でも駆けつけてくれたファンに感謝しているなどと打ち明けた。終幕に至った理由についてLUNA SEAはビジネス的にバンドとしてのスケジュールが決まっていて、それだけを駆け抜けるのが辛く、あれ以上活動を続けていたらもっと良くない状況で終幕していたかもしれず、自分達の生き方・音楽・哲学といったあらゆるものを今一度各々に追求する決断を30歳前後で下せたことが今の活動に繋がっている気がするなどと述べた。再びLUNA SEAを続けようと思った理由について、RYUICHIはソロ活動を通して様々な世界的なミュージシャンつセッションしてきたが、7年ぶりの復活ライブで歌ったときに、メンバーとのグルーヴは世界に通じると確信したし、自分がメンバーたちの音で育ったのだと改めさせられたなどと打ち明けた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年2月2日放送 23:15 - 0:10 テレビ朝日
EIGHT-JAM超貴重証言 LUNA SEA 激動の歴史
1989年に東京・町田にてLUNACY名義で結成され、1992年にアルバム「IMAGE」でメジャーデビューを果たし、独自のヴィジュアルとライブパフォーマンスで人気が上昇した。そして3rdシングル「ROSIER」が初のシングルトップ3入りし、ヒットを連発したなどと紹介。結成10周年の1999年、音楽史に残る10万人ライブ、LUNA SEA 10TH ANNIV[…続きを読む]

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