新美の巨人たち (シリーズ“美しきニッポンの駅”(2)重要文化財「門司港駅」)
1891(明治24)年に門司(現門司港)~高瀬(現玉名)間が開通。筑豊炭田の石炭を輸出するため、海が深く大型船が停泊しやすい門司に国際貿易港を築くことになった。初代の駅舎はごく普通の平屋造り。当時の駅名は「門司」だった。1901(明治34)年に下関駅と門司駅を結ぶ関門連絡船の運航が開始され、門司は九州の玄関口となった。門司港は横浜・神戸に次ぐ日本第3の貿易港となり多くの企業が参入。街は栄えて人が溢れるようになり、1911(明治44)年に一等駅に指定された。当時の一等駅は全国に22駅しかなかった。一等駅になったことから新駅舎を200m海側に建設することになった。平屋から2階建てとなり、2階には貴賓室が作られた。天皇陛下や皇族が休憩所として使用した。特別に田中が旧貴賓室に入らせてもらった。