2024年9月14日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京

新美の巨人たち
【シリーズ日本の美しい駅「門司港駅」レトロな美】

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(オープニング)
今回は…

現役の駅舎で国の重要文化財となっているのは門司港駅と東京駅の2つのみ。両者には決定的な違いが。屋根裏にあるというその秘密に田中卓志が迫る。

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東京駅重要文化財門司区(福岡)門司港駅
オープニング

オープニング映像。

(シリーズ“美しきニッポンの駅”(2)重要文化財「門司港駅」)
門司港駅

1973年に完成した関門橋は本州の下関と九州の門司を結ぶ。広島大学で建築を学んだ田中卓志にとって門司港駅はずっと気になる駅だったという。1914(大正3)年に建設され、2階建ての中央棟と平屋建ての東西棟からなる。左右対称の造形は見事なネオルネサンス様式。中央棟の屋根は勾配が途中で変化するマンサード屋根。上部の緩やかな屋根は金属板瓦棒葺き、下部は天然スレート葺きでドーマー窓が突き出ている。正面の壁から張り出した柱はジャイアントオーダーと呼ばれ、2階まで伸びている。大時計は駅舎のシンボル。当時、九州に初めて設置された電気時計だった。6年におよぶ保存修理の工事で2019年3月に建設当初の姿に復原された。

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すべてがレトロな駅舎

田中が門司港駅の駅舎を探索。人々が行き交うコンコースにある旧切符売り場は古風な設え。コンコースに隣接するのは旧一二等待合室。現在はみどりの窓口と観光案内所になっている。当時使われていた暖炉もあった。洗面所にトイレは無く、蒸気機関車のすすがついた顔や手を洗うだけの場所だった。青銅製の手水鉢は戦時中の供出を免れたため、幸運を呼ぶパワースポットとして人気。

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門司港駅
威風堂々のプラットホーム

第64代駅長の緒方潔さんが門司港駅のプラットホームを案内してくれた。着用していたレトロ調の制服は門司港駅限定だという。ボタンには車輪がデザインされている。貨物列車の荷物を船に運ぶため、ホームには障害物がない。かわいらしい書体の駅名板や昔のレールを再利用した屋根の鉄骨が歴史を感じさせる。

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門司港駅
「門司港駅」誕生へ

1891(明治24)年に門司(現門司港)~高瀬(現玉名)間が開通。筑豊炭田の石炭を輸出するため、海が深く大型船が停泊しやすい門司に国際貿易港を築くことになった。初代の駅舎はごく普通の平屋造り。当時の駅名は「門司」だった。1901(明治34)年に下関駅と門司駅を結ぶ関門連絡船の運航が開始され、門司は九州の玄関口となった。門司港は横浜・神戸に次ぐ日本第3の貿易港となり多くの企業が参入。街は栄えて人が溢れるようになり、1911(明治44)年に一等駅に指定された。当時の一等駅は全国に22駅しかなかった。一等駅になったことから新駅舎を200m海側に建設することになった。平屋から2階建てとなり、2階には貴賓室が作られた。天皇陛下や皇族が休憩所として使用した。特別に田中が旧貴賓室に入らせてもらった。

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レトロ建築巡り

門司に点在する大正レトロな建築を田中が巡った。旧大阪商船の門司支店(1917年、河合幾次設計)は朝鮮や中国大陸への重要な拠点だった。港に隣接する赤レンガの建物は旧門司税関(1912年、妻木頼黄監修)。逓信省門司郵便局電話課庁舎(1924年、山田守設計、現門司電気通信レトロ館・NTT西日本)は門司で初めての鉄筋コンクリートの建造物。三宜楼(1931年)は門司で一二を争う高級料亭だった。木造3階建で部屋数は20以上あった。見学は無料(10~17時、月曜定休)。百畳間と呼ばれた大広間の舞台では能が演じられることもあった。旧門司三井倶楽部(1921年、松田昌平設計)は当時の社交場。国の重要文化財に指定されている。木製の柱や梁を外壁に露出させるハーフティンバー様式。ドイツ壁と呼ばれる凹凸のあるモルタル仕上げ。内装はアールデコを基調とした美しい装飾。

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「門司港駅」最大の謎

門司港駅の2階から屋根裏を見ることができる。駅は木造だった。

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なぜ木造で造られたのか

国の重要文化財に指定されている駅舎は2つしかない。1988年に指定された「門司港駅」は1914年に建設。九州鉄道管理局が設計した木造2階建て。もう1つは「東京駅」。同じく1914年に建設され、構造は鉄骨煉瓦造の3階建て。辰野金吾が設計し、2003年に重要文化財に指定された。両駅の決定的な違いは木造か鉄骨煉瓦造か。門司港駅は一等駅らしく石造りに見えるよう仕上げたという。木造の理由は将来駅の位置を変更する可能性があり、とりあえず10年間維持する仮建設だったため。

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「門司港駅」の栄枯盛衰

1942(昭和17)年に下関駅と大里駅を結ぶ海底トンネルが開通し、本州と九州が鉄道で結ばれた。大里駅を門司駅に、それまでの門司駅を門司港駅に名前を変えた。1958年に関門国道トンネルが開通、1964年に関門連絡船が廃止、1973年に関門橋、1975年に新幹線の新関門トンネルが開通した。交通の導線から外れた門司港駅は利用客が減少し、駅舎は老朽化が進んだ。田中卓志が門司港レトロハイマート(1999年、黒川紀章設計)を訪れると街を一望できた。1988年に国が門司港駅を駅舎初の重要文化財に指定したことで街のピンチが救われた。大正時代の壮麗な駅舎が現役で使用されていることが評価された。駅舎の建設から75年目のことだった。

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古い建築を観光資源に

1995年に町は門司港レトロを打ち出した。レトロな建築を観光資源とした町おこしだった。旧九州鉄道本社は鉄道記念館にリニューアル。他にも先週の放送で取り上げた「わたせせいぞう」のギャラリーを構えたり、重要文化財の建築にはレストランを併設。田中が名物の「海鮮焼きカレー」(1570円)を食べた。新たな建造物もレトロを基調に設計され、年間200万人以上の観光客が訪れるようになった。

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重要文化財「門司港駅」

門司港駅のホーム脇にあるプレートには、駅舎保存に寄付した約190名と390の企業や団体が記されている。レトロを力に変えて町を支え続ける。

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門司港駅
(エンディング)
次回予告

新美の巨人たちの次回予告。

(番組宣伝)
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