2024年8月17日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京

新美の巨人たち
【戦没画学生慰霊美術館「無言館」×内田有紀】

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(オープニング)
今回は…

今回は戦没画学生慰霊美術館の「無言館」を内田有紀が巡る。

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オープニング

オープニング映像。

新美の巨人たち
「無言館」×内田有紀 静かに絵が問いかけるもの

長野県上田市の郊外に塩田平と呼ばれる田園が広がっている。木立の中に簡素な建物がある。今日の作品「無言館」は戦没画学生のたちの作品をおさめる世界でも珍しい美術館。無言館は祈りの形をしていて、重い扉の先に館内には、戦没画学生の絵130名の油絵や日本がや彫刻などが写真や手紙などの資料とともに展示されている。特攻服に身を包んだ少年兵の姿の作品は絵の具が剥落し、その表情を伺うことはできない。作者の大貝彌太郎さんは東京美術学校出資で長崎地方航空機乗員養成所で美術教師として勤務していた。その養成所で、少年兵を描いた。伊澤洋さんの絵には家族というタイトルが。新聞を広げる父と穏やかに微笑む母と着物の妹は、慎ましく毛糸を編んでいる。背広姿の兄は蓄音機から流れる音楽を楽しんでいる。背後には東京美術学校時代の作者の姿も。しかし兄は当時の家族の状況にこんなにもゆっくり家族で過ごしたことがなく空想画ではないかと話している。伊澤さんは栃木県南河内町の農家に生まれ中学に上がれるのさえ精一杯の貧しい家だったが、画家の夢を断ち切れずに東京美術学校んの油絵科に入学。両親は庭にあったけやきの木を売って学費にあてた。しかし3年生の夏に招集された。令状をうけとった翌日に家の前で一枚の絵を描いた。一筋の道がまっすぐに伸びて木々の葉が今を盛りと茂っている。生まれてからずっと慣れ親しんできた景色を描いたがその後ラバウルやニューギニアと南方を転戦した。東部ニューギニアで26歳で戦士した。故郷の家のそばには伊澤さんのお墓があり、せめてものの供養と兄がたてたという。

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「無言「無言館」誕生の理由“友情と鎮魂”の果てに

野見山暁治は2014年に文化勲章を受賞した戦後の日本を代表する洋画家。昨年に102歳で他界したがずっと背負い続けてきたものがあった。それは長い戦後で野見山さんは昭和13年に東京美術学校に入学し、戦況が悪化し多くの同級生たちが戦場に駆り出されていった。野見山さんも卒業後に満州へ出征したが肋膜炎を患って日本に送還され終戦を迎えた。そして多くの同級生や仲間が戦死したことを知った。野見山さんは50代の半ばから、突き動かされるように彼らの作品を探し始めた。S嬢と呼ばれる作品は野見山さんの同級生の 大倉裕美さんの作品。大倉さんは、フィリピンのルソン島で戦死したが野見山さんが大倉さんの実家を訪ねると迎えてくれたのは年老いた母親だった。息子の死を無念に感じていたというが野見山さんは帰り際にオーバーをとって帰る所、その母親がオーバーを着させてくれたというがその手が離れなかったという。熱い思いに遺族宅を回る決心をした。野見山さんとともに作品を収集し後を引き継いだのは作家の窪島誠一郎さん。画家の夭折の画家の作品を集めた信濃デッサン館の館主でもあった。

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全国を歩き回った窪島さんは、1997年に無言館を閉館させた。彼らの作品を集めた当初に野見山さんの印象は、絵はつまらないと感じたが日にちが経つと気持ちが変わっていたという。絵は展覧会で出すようないい絵を描こうという気持ちはないがそれよりも見たいものをじっとみていたいという、絵というものはこういうものだと感じたという。

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「無言館」×内田有紀 静かに絵が問いかけるもの

佐久間修さんが手掛けたのは愛する妻を描いた作品。一枚目はヌードのデッサンともう一枚は肖像画。東京美術学校と卒業後に静子さんと結婚し、熊本の中学校で美術教師をしていた佐久間さんは昭和19年に勤労動員先の長崎で空襲を受け被弾し亡くなった。窪島誠一郎はこの絵について妻にとって佐久間さんの絵は自分の愛した人間の命の分身だったと語る。

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「無言館」に残されたもの 青春が時を止めて…

無言館という場所は時を止めている。帰ってきたらまた描こうという希望と二度と描けないかも知れないという絶望がせめぎ合っている。無言館にはもう一つの建物がある。第二展示館の中央には、石膏像が一つ。片岡進さんの自刻像は出征の日の明け方まで自らの顔を作り続けこれを自分だと思ってほしいと家族に告げた。

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「無言館」に残されたもの 学生たちの未完の夢

無言館第二展示館の天井には戦没が学生たちのデッサンや下図が描かれている。果たされなかった夢が天を覆っている。描いたものは学生たちが愛するもので家族や恋人や故郷の景色など、身近で平凡なものばかりだった。

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「無言館」涙の一枚 “愛と惜別”の肖像

中村萬平さんの作品霜子は妻を描いた油絵は暗がりのなかで片膝をたてた裸の女性がじっとこちらを見つめている。絵の具が剥落してしまっているが力強い絵で、中村さんは東京美術学校在学中に霜子さんと結婚した。妻が見つめているのは描いている夫で、この時お腹には赤ちゃんが宿っていたという。しかし中村さんは産まれてくる我が子を見ぬまま出征。やがて長男が産まれ、妻は戦地にいる夫へ赤ちゃんが生まれたことを報告したが産後肥立ちが悪く半月後に亡くなった。その知らせを受けた中村さんは昭和18年の8月2日に戦死した。

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無言館の敷地にあるオブジェは 戦没した学生たちの魂の筆の沈黙と慟哭が。その裏側には画家は愛する人しか描けないなどと強いメッセージが書かれている。

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(エンディング)
次回予告

「新美の巨人たち」の次回予告。

(番組宣伝)
スポーツ リアライブ

「スポーツ リアライブ」の番組宣伝。

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