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「東京美術学校」 のテレビ露出情報

長野県上田市の郊外に塩田平と呼ばれる田園が広がっている。木立の中に簡素な建物がある。今日の作品「無言館」は戦没画学生のたちの作品をおさめる世界でも珍しい美術館。無言館は祈りの形をしていて、重い扉の先に館内には、戦没画学生の絵130名の油絵や日本がや彫刻などが写真や手紙などの資料とともに展示されている。特攻服に身を包んだ少年兵の姿の作品は絵の具が剥落し、その表情を伺うことはできない。作者の大貝彌太郎さんは東京美術学校出資で長崎地方航空機乗員養成所で美術教師として勤務していた。その養成所で、少年兵を描いた。伊澤洋さんの絵には家族というタイトルが。新聞を広げる父と穏やかに微笑む母と着物の妹は、慎ましく毛糸を編んでいる。背広姿の兄は蓄音機から流れる音楽を楽しんでいる。背後には東京美術学校時代の作者の姿も。しかし兄は当時の家族の状況にこんなにもゆっくり家族で過ごしたことがなく空想画ではないかと話している。伊澤さんは栃木県南河内町の農家に生まれ中学に上がれるのさえ精一杯の貧しい家だったが、画家の夢を断ち切れずに東京美術学校んの油絵科に入学。両親は庭にあったけやきの木を売って学費にあてた。しかし3年生の夏に招集された。令状をうけとった翌日に家の前で一枚の絵を描いた。一筋の道がまっすぐに伸びて木々の葉が今を盛りと茂っている。生まれてからずっと慣れ親しんできた景色を描いたがその後ラバウルやニューギニアと南方を転戦した。東部ニューギニアで26歳で戦士した。故郷の家のそばには伊澤さんのお墓があり、せめてものの供養と兄がたてたという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年10月8日放送 13:45 - 13:50 テレビ朝日
東京サイト(東京サイト)
「田端文士村記念館」を紹介。田端の地で暮らした芥川龍之介などの原稿や作品を見ることが出来る。田端文士芸術家村は明治の後期から昭和20年ごろまでの約50年間でのべ100人以上の文士や芸術家たちが暮らしたという場所。明治22年、上野に東京美術学校(現在の東京藝術大学)が開校して、ぎりぎり歩いて通える距離で若い芸術家たちが移り住むようになった。芥川龍之介が転居して[…続きを読む]

2024年9月29日放送 0:45 - 1:35 NHK総合
バラカンが見た奄美大島(バラカンが見た奄美大島)
一村は幼少の頃から画才を発揮。7歳の時に描いた「菊図」は欠落した部分があり、芸術家の父が手を加えたことに腹を立てた一村が破いたと言われている。1926年に東京美術学校に入学するが、2か月で退学。商売として描くことに疑問を感じ始めた一村は、23歳の時に心から描きたいと思うものを描きあげスポンサーが離れた。千葉の農村に移り住み、農業やアルバイトで生計を立てながら[…続きを読む]

2024年8月17日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
野見山暁治は2014年に文化勲章を受賞した戦後の日本を代表する洋画家。昨年に102歳で他界したがずっと背負い続けてきたものがあった。それは長い戦後で野見山さんは昭和13年に東京美術学校に入学し、戦況が悪化し多くの同級生たちが戦場に駆り出されていった。野見山さんも卒業後に満州へ出征したが肋膜炎を患って日本に送還され終戦を迎えた。そして多くの同級生や仲間が戦死し[…続きを読む]

2024年7月9日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団浅井忠の油絵
依頼人・中山雄基さんが登場。依頼品は骨董好きの義父がくれた「浅井忠の油絵」。土のニオイのするリアリスムと評価された重要文化財「春畝」、作者は浅井忠(1856~1907)、日本洋画界の先駆者。1856年佐倉藩士の長男として江戸に生まれた、21歳の時に工部美術学校に入学、1889年「明治美術会」結成、1903年「聖護院洋画研究所(現・関西美術院)」設立、1907[…続きを読む]

2024年7月3日放送 16:10 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
今日は画家・野見山暁治さん(2023年102歳没)の人生を振り返る。大正9年、福岡県生まれ。幼いころから絵ばかり描いていたという。そんな野見山さんは戦没した画学生の遺族をまわりその作品を世に出すことにも尽力した。「土曜美の朝」、「おはよう日本」、「巨匠たちの卒業制作〜東京芸大・青春群像〜」、「あの日昭和20年の記憶」、「日曜インタビュー」、「新日本美術館」の[…続きを読む]

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