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オープニング映像。
長崎市にやってきた石黒賢。異国情緒あふれる街で、石黒賢は長崎と縁があるという。その父は戦後日本初のプロテニス選手として活躍したという。そして昭和20年の8月9日には長崎にいて被爆経験もあるという。原爆が投下された場所は1995年に平和公園として整備された。そこにあるのが今日の作品。北村西望作の平和祈念像。高さ9.7m重さ30トンほどのブロンズ像。公園ができた同じ年に作られた。像の後ろには背中の下の台座にポーズの意味を記した作者の言葉が刻まれていた。天に掲げた右手は原爆の脅威、水平に伸ばした左手は平和を。閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈っている。作者の北村西望は長崎出身の彫刻家文化勲章も受賞している。70歳でつくりあげたのが平和祈念像だった。平和祈念公園には海外のアーティストが製作したいくつもの彫刻作品が並ぶ。平和のイメージを象徴する母子像や子どもの像などが多い中でたくましい男性の姿なのか?
東京・武蔵野市にある井の頭自然文化園は自然文化園の北村西望の作品を展示している彫刻園と呼ばれているエリアがある。若い頃から数々の賞を受賞し、国民的彫刻家となった北村の200体もの作品が並ぶ。オーギュスト・ロダンの影響を受け、肉体を誇張することで人間の内面を表現したロダン。東京美術学校を卒業する際に作った彫刻をロダンのものと比べると似ている。敷地内に建つ彫刻館には長崎の平和祈念像と同じ大きさの像があった。これは平和祈念像をつくるための原寸大の石膏原型。表面はシルバーに塗装されている。北村はこの巨大な男性像を作るため、東京都にアトリエを用意してもらったが無償で借りるには道理にあわないと作品を置いたという。自然文化園にそのアトリエが今も残っている。
その自然文化園の中にあるアトリエは天井の高さ12m。数々の作品とともに平和祈念が作られた工程がわかりやすく展示された。北村西望はまず20分の1の原型を製作しその後骨組みを作ってそれをもとに石膏を流し塗っていった。平和祈念像には戦時中に北村が発明した斬新な彫刻技法が使用され、通常は塑像は粘土で原型を製作し石膏像で型取り、鋳造しブロンズ像が完成する。しかし戦時中に粘土が入手困難だったために石膏で直接原型を作ろうと考えた。まず木で像の型を組んで目の細かい網を張って像の輪郭を作っていく。そこに水を溶かして藁を混ぜた石膏を下ごしらえに貼り付け、クリーム状の石膏を塗っていく。粘土の型に比べ、表面は荒くなるが失敗しても石膏を塗れば手直しが可能。平和祈念像は、104のパーツに分けて作られた。像の原型の所々にそのつなぎ目が。東京で製作した巨大な像を長崎まで運ぶたえにあらかじめバラバラのパーツにできるように鋳造し現地で組み立てた。平和祈念像の製作は昭和25年に長崎市からの原犠牲者の冥福を祈るモニュメントをつくりたいという依頼がきっかけだった。戦争中は、戦意高揚のために仕事をせざるを得なかった北村は、戦後、平和を祈るための像をつく入りたいという強い思いがあった。4年の月日を費やし、完成した平和祈念像は1955年の8月8日に除幕式が行われた。
北村西望の作った平和祈念像がお披露目されると次々と批判が浴びせられた。東京藝術大学の森淳一はこんなにも誹謗中傷が多かった理由には製作中にも誹謗中傷があったというがそのアトリエに石が投げられたことも。なぜ裸体なのか?男性なのか?と理解されなかったという。北村があらゆる批判を飲み込み、平和をこの姿に託したのはなぜなのか?その秘密が今年に発見された新たな資料に隠されていた。
長崎県にある平和祈念像。平和を表現するために筋骨隆々で裸体の男性。作者の北村西望は、何故この姿にこだわったのか?今年八月にその答えとなる資料が発見された。北村が、井の頭自然文化園い移る前にアトリエとして使っていた東京・北区の建物。その資料は平和祈念像の構想の段階で北村が作っていたスクラップブックとメモ書きの雑記帳。像のポーズに試行錯誤をしていたことを伺わせるスケッチが。高さ9.7mの像よりもさらに大きな12mの像を計画していた。そして雑記帳には表情のデッサンが残っていた。女性のように見える顔もあった。北村のほとんどの作品にはモデルがいたが、思案を表現するためにモデルを使用しないとした。さらにはたくましい造形の真実に迫る新たな言葉も。彫刻的な内容は人間的なものは非人間的なもの、エクストラヒューマンなものと完全に変化したものというメモ書きが残されていて、平和祈念像をさしているという。人間を遥かに超える存在でなければ平和をもたらすことはできないのではないか?だから像はアレほどの巨体に分厚い筋肉をまとわせる必要がったのではないかとされる。また不思議な足の組み方にも人間を超越した意味が超められている。
平和祈念像の足の組み方については人間を救うために思いを巡らせる半跏思惟像に似ているという。額のほくろのようなものは仏像のようなものを意識していたとされ慈悲の光を放つ白毫とではないかとされる。その姿に異を唱える声は北村にも届いていたが、これが悩みの末にたどり着いた平和のカタチ。
新美の巨人たちの次回予告。