おくりびとになりたくて 大切な誰かと別れるとき

2024年6月23日放送 14:00 - 14:24 フジテレビ
ザ・ノンフィクション おくりびとになりたくて 大切な誰かと別れるとき

納棺師は通夜や葬儀に先立ち遺族の前で故人を棺に収めてお別れの時間を作る人で「おくりびと」とも呼ばれている。惜別や感謝を皆で分かち合うひとときを納棺式として広がり始めているという。納棺師の技術を学ぼうとする人たちは年齢も理由も様々である。おくりびとアカデミーでは納棺師の技術を学ぶことができ、アカデミーが定める資格を得るには半年はかかる。入校式では代表の中村さんがお手本を披露する。死に装束をまとってもらうため硬直した遺体をほぐす。無駄のない動きで着せたら化粧を施す。受講生達は技術などのほか別れに寄り添う心も身につける
納棺師を目指す山下陽子さんは保険会社で働いていたという。陽子さんは北海道の3人きょうだいの末っ子として生まれ19歳で結婚。夫の仕事で各地を転々していたが30歳で離婚しシングルマザーになる。それまで働いたことのなかった陽子さんは上京し保険会社に17年勤務した。転機は45歳の時、母親を肺がんで亡くしたという。それまでなにかにつけて頼ってくる母親が重荷感じてしまっていたが尽くしきれなかった無念などに苛まれてしまったという。そこから納棺師が来てそれから母の話をいっぱいしてさみしいばかりじゃなくて終わったという。救われたことで人生を考え直すきかっけとなり3年かけて決意を固め、娘たちも独り立ちし新たな人生を歩み直せると保険会社に辞めて納棺師を目指した。この日は長女の家を訪ね、苦手な着せ替えの自主練を行った。
別の日、陽子さんの家にフィアンセを連れた次女がやってきて練習相手を志願してくれた。アカデミーでは死に化粧など何もかも初めての経験をした。1年後陽子さんは納棺師の派遣会社に勤めていた。取材時はまだ研修期間で先輩について経験を積んでいた。先輩納棺師の秋元さんは陽子さんと同年代であるがすでにキャリア20年のベテラン。故人について情報は現場について知らされることがほとんど。この日の故人はがっしりとした体型で式の準備を整えるのも時間がかかった。そして遺族の前で納棺式が開始された。取材を許してくれた遺族の方から何かをしてあげたく選んだ納棺式で死者に対する真摯な態度に感謝しているなど書かれた手紙が送られた。
陽子さんは着替えを一人でできなかった事実に落ち込んでいた。アカデミーの同期7人のうち3人が納棺師として就職している。特にパティシエから納棺師になった川口さんとは時折連絡を取っており独り立ちすると連絡をもらったという。ご遺体に接するプレッシャーから長続きしない人も多い納棺師。それでも陽子さんは多い時は1日5軒の現場を回っていた。6月、一人で現場を任されるようになった。この日は70代女性の納棺式を実施。女性を見守っていたのは夫や子ども、孫達で遺族の要望で淡いピンクのワンピースを着せた。納棺式を無事に終わり、帰途につく陽子さんはいつもより柔らかな表情をしていた。陽子さんは徐々に仕事に手応えを感じる一方でずっと抱える心配事もあった。それは故郷に残している父のことで1年前事故に遭い、入院生活を送っているという。その父が半年前に容態が悪化したという。


キーワード
さいたま市(埼玉)中央区(東京)おくりびと秋田県肺がんLINE奥尻島北海道おくりびとアカデミーNK東日本SARSコロナウイルス2

TVでた蔵 関連記事…

岸連山の三幅対 (開運!なんでも鑑定団 2024/9/17 20:54

著名人の座右の銘 書道の鬼才が表現 (グッド!モーニング 2024/4/5 4:55

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.