ぼくたち、弁護士“夫夫”です。 (ぼくたち、弁護士“夫夫”です。)
南さんと吉田さんは2人で法律事務所を立ち上げた。家族経営の小さな事務所で主に地域の人から相談を受けてきた。同性カップルであることを公表して以来寄せられるようになったLGBTQの問題は2人で一緒に取り組んでいる。2015年にパートナーシップ制度が導入されたが、法律上同性同士の婚姻は認められていない。2人が出会ったのは大学生の頃だった。
2020年11月に2人はアウティングがきっかけで亡くなったAさん裁判を抱えていた。アウティングをした学生と大学に対し民事訴訟を起こした。その後学生とは和解が成立したが一審判決では遺族の請求は棄却された。この日の控訴審判決は大学側が安全に配慮しなかったとは言えないとして原告の請求は棄却されたが、Aさんの人格権を否定するとしてアウティングの違法性を認める初めての裁判となった。また東京都国立市ではアウティングを禁じる条例を全国で初めて制定した。しかし裁判そのものは敗訴し2人にとって納得のいく結果とはならなかった。南さんが母にカミングアウトしたのは22歳のときだった。ヤヱさんは2人の結婚式に行った時の話をした。ここ数年南さんには様々な仕事の依頼が来るようになった。同性愛者への理解が深まるならと講演を続けてきたが違和感もあるという。
大北武己さんは40年以上連れ添っtた同性パートナーが亡くなり遺族との間で胃酸トラブルを抱えていた。共に働いていたデザイン事務所 の資産がパートナー名義だったためその相続が親族から認められなかった。大北さんがは遺産相続を求めて提訴したが、親族側は「遺産は親族に相続させる」と伝えられているなどと主張している。一審判決では棄却された。大北さんの控訴による高等裁判所での判決は控訴棄却という内容だった。
この時期吉田さんは仕事を休み1人でいることが増えた。どうしても自分ごとになってしまう弁護士の仕事に吉田さんは疲れていた。これからの2人の暮らしをどうしていくのか話し合いをし、2人の幸せを大事にしようと決めた。南さんは吉田さんと出会ってから思い出を歌にしている。吉田さんは人に会う仕事は避け、南さんのサポート役に回る仕事が多くなった。
2021年3月17日、同性婚訴訟が札幌地裁でけっ審となった。日本では初となる歴史的な判決だった。2人はそれを聞いてびっくりしたなどと感想を言った。司法の壁に変化の兆しがあり2人が望む世界が少しだけ近づいた。しかし南さんが交通事故に遭い入院していた。しかし手術の同意書を病院は法的な根拠なく血縁の家族に求め、その対応に納得できず別の病院で手術を受けた。辛い体験を同性婚訴訟の陳述書に盛り込み裁判の場で気持ちを伝えてみては?と大北さんに森弁護士は伝えた。これをきっかけに大北さんは様々な場所で自らの経験や思いを伝えた。3ヶ月後に南さんは退院し久しぶりに夫夫生活が始まった。