イット! しらべてみたら
オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚を追い詰めた伝説の捜査員・山田正治さん(83)。当時、各地でオウムの関与が疑われる事件が起きていたが、捜査は難航し確証はなかった。そんな中教団トップ逮捕につながる事件があった。それが1995年2月28日に発生した「目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件」である。山田さんは「恨みや財産関係」などと話した。当初はオウムと関係のない拉致誘拐事件として捜査していたが、進んでいく中で、トラブルになった宗教団体こそ「オウム真理教」である。さらに事件の数日前に犯行に使われたレンタカーが近くに停車していたのを大崎署の警察官が不審に思い、職質していた。山田さんは「警ら係によって免許証番号が分かってたので、直ぐに照会して住居が静岡県富士宮市でオウムの本部があった」などと話し初めてオウムの犯行が決定的になった。しかし強制捜査に踏み切ろうとした矢先に山田さんは「刑事部長室で私と一課長が呼ばれ、捜査を詰める話をしていた時に地下鉄事件が発生した」などと話し「地下鉄サリン事件」が発生した。死者13人・負傷者は6300人以上と世界でも類を見ないテロ事件であった。事件から2日後に警視庁は仮谷さん拉致事件の容疑で上九一色村の施設を強制捜査した。山田さんは「23歳になるピアニストが助けを求め、彼女の拉致監禁に携わったのが林郁夫受刑者」などと話した。その後の取り調べで林受刑者はオウム事件の松本元死刑囚の関与を認め、全面自供した。そして1995年5月16日に地下鉄サリン事件の容疑でオウム施設を強制捜査した。捜査開始から4時間で松本元死刑囚が見つかったのは2階と3階の間に作られた隠し部屋だった。山田さんは「麻原だなと聞いたらそうだと答えた」などと話した。一連のオウム事件の突破口となった仮谷さん事件はその後の捜査で殺害されていたことが判明した。松本元死刑囚は殺人など13の事件で起訴され、2018年に死刑が執行された。