未解決事件 パリ同時テロ事件 若者たちはなぜ豹変したのか
2015年、フランスで起きたパリ同時テロ事件。アズディンヌ・アミムールさんは実行犯の1人の父親。長年批判や中傷にさらされてきたが、「日本のメディアなら」と取材に応じてくれた。ルーツはアルジェリア。息子サミーはパリ出身。28歳でテロの実行犯として人々を殺害し自爆した。その日、父はサッカーフランス代表の親善試合をテレビ観戦。郊外のスタジアムで3人の男が自爆。ほぼ同時刻、15km離れた市街地でも3人が発砲。近くのライブ会場でも銃撃。父がとっさに案じたのはパリに居た末娘のこと。娘の安全は確認できたが、息子サミーはその会場にいた。犯人たちは「同胞の復讐」「フランス大統領のせい」と叫んでいた。
2015年、フランスで起きたパリ同時テロ事件。警察の特殊部隊が突入したのは最初の通報から40分後。犠牲者132人、負傷者400人以上。戦後フランス史上最悪のテロ事件となった。アズディンヌ・アミムールさんは実行犯の1人の父親。そのことを知ったのは事件から3日後。当局が自宅に突入してきて目隠しされ、取り調べを受ける。犯行声明を出したのは中東の過激派組織IS。息子サミーはその一員として人々を無差別に銃撃し自爆。父はフランスの旧植民地アルジェリアで戦争と貧困を経験。パリの家ではイスラム教を教えず、フランス社会に溶け込めるよう育ててきた。
2015年、フランスで起きたパリ同時テロ事件。アメルさんは実行犯サミーの姉。メディアの取材に応じるのは初。サミーとは3歳違い。幼い頃から仲良しだった。サミーは高校生の頃からホームレス支援活動に熱心に取り組んでいた。ここでイスラム教と接点を持ち、社会のあり方に疑問を抱くようになる。大学はすぐに中退。自分の部屋に引きこもり、厳格なイスラム教を熱心に調べるようになった。25歳のとき、深刻な飢餓が続くイエメンに渡航計画を立てていたところ「過激派組織参入を企てた」として身柄を拘束される。当時中東情勢が揺らいでいて、当局として予防的な措置がとられた。
2015年、フランスで起きたパリ同時テロ事件。実行犯サミーは25歳のとき、深刻な飢餓が続くイエメンに渡航計画を立てていたところ「過激派組織参入を企てた」として身柄を拘束される。96時間の尋問ののち釈放も、パスポートを没収され定期的な出頭が義務付けられた。1年後、家族に別れを告げ内戦中のシリアで人道支援活動。その後過激派組織ISに参加することになる。
2015年、フランスで起きたパリ同時テロ事件。実行犯で唯一生き残ったサラ・アブデスラム。裁判では過激派組織ISのプロパガンダを繰り返すばかりで、自らの動機や経緯は語らなかった。兄モハメドさんは事件後一時関与を疑われ、名字を変え息を潜めて生活してきた。家族のルーツは北アフリカ。暮らしていたのは移民が多いベルギーの地区。サラは当時婚約者もいて働いていたが上手くいかず、21歳で車を盗もうとして逮捕され数週間服役し仕事と婚約者を失う。
2015年、フランスで起きたパリ同時テロ事件。実行犯で唯一生き残ったサラ・アブデスラムは21歳のとき、車を盗もうとして逮捕され数週間服役し仕事と婚約者を失う。このころ幼馴染のアブデルハミド・アバウドから過激派組織ISに誘われる。家族にもシリア移住を持ちかけた。かつてISへの参加を希望した別の女性は当時性暴力の被害を受けていた。ISメンバーから悪への厳しい裁きを約束され、居場所を見つけ評価されている感覚になったという。
2015年、フランスで起きたパリ同時テロ事件。実行犯サミーはフランスを密かに離れシリアに渡る。その数カ月後、説得し連れ戻すため父も現地を訪れる。目にしたのはIS戦闘員となった息子の姿。母からの手紙に100ユーロを挟んで渡すと手紙だけを受け取り、帰国を拒んだ。ISは加入した若者に人質の喉を切らせ、「後戻りできない」と思わせることで脱走を防いでいる。当時シリア内線は泥沼化。欧米諸国はIS支配地域に空爆を実施。フランスも参加していた。ISは民間人の犠牲について欧米諸国が原因と主張。サミーは姉との電話で絶望している旨を語り、ISのビデオでは母国フランスのイスラム教徒に報復を呼び掛けていた。
2015年、フランスで起きたパリ同時テロ事件。実行犯サミーはかつて苦しむ人を助けたいと語っていた人物。その日、フランス社会への憎悪を叫びながら人々を殺戮したのち自爆した。人質となったマリーさんは「実行犯は目を合わせるのを避けていた」「人質が人間らしく見えてしまうからでは」と証言する。サミーは共同墓地の片隅に埋葬。6歳年下の妹は兄が犯行に及んだ事実を今も受け入れられない。IS加入前は暴力を嫌う人物だったという。
2015年、フランスで起きたパリ同時テロ事件。実行犯で唯一生き残ったサラ・アブデスラム。担っていたのは車の手配や爆発物の調達などの雑用。その日、実行犯らを送り届けたあと自爆用ベストを捨てて逃走。法廷では300人以上の被害者の証言を聞き続け、最後に「私を憎むのはほどほどにしてほしい」「こんな自分になりたかったわけじゃない」と発言。判決はフランスの刑法で最も重い無期禁錮刑。今もテロや暴力の芽は絶えない。専門家は「若者にとって魅力的な社会モデルを再構築しなければならない」と訴える。被害者遺族の女性は「事件を繰り返さないために」とIS元戦闘員との対話を続けている。パリ中心部に設置された追悼碑には犠牲者132人の名が刻まれている。
