空からクルージング 空からクルージング
マルタ共和国は、地中海に浮かぶ5つの島から成る。首都のバレッタ市街は中世以来の貴重な文化財が多くあり、世界遺産に登録されている。バレッタはヨハネ騎士団が16世紀に建設し、堅固な城壁で取り囲まれている。聖エルモ砦は、オスマン帝国との戦争で防衛の最前線で、現在でも軍事訓練を再現する催しが開かれている。
バレッタのシティゲートに入ると、右手に王立歌劇場跡の柱が見える。王立歌劇場は、第二次世界大戦の爆撃で破壊された。王立歌劇場の前には、騎士団長のジャン・ド・バレットの像が建っている。
1577年に完成した聖ヨハネ大聖堂は軍事技術者が設計していることで、外観は質素な作りになっている。聖ヨハネ大聖堂の内装はたびたび改修されてヨーロッパ有数の華美な教会となっていて、柱や壁は金箔が使われている。聖ヨハネ大聖堂の天井には、洗礼者ヨハネの生涯が描かれている。聖ヨハネ大聖堂の床には、騎士たちの墓石が敷き詰められている。聖ヨハネ大聖堂の礼拝堂は、騎士の出身地や言語ごとに作られている。聖ヨハネ大聖堂の別室には、「洗礼者ヨハネの斬首」などの名画が飾られている。
聖ヨハネ大聖堂の通りを北に進むと、騎士団長の館がある。騎士団長の館は聖ヨハネ大聖堂と同じ建設家が設計し、外観は質素で堅牢な作り。ヨハネ騎士団には、ヨーロッパ中から貴族の子弟らが集められ、厳しい軍事訓練を重ねた。騎士団長の館は団長の公邸として審議などの場となり、現在はマルタ共和国の大統領府として使われている。
マノエル劇場は、ヨハネ騎士団によって1731年に建てられた。1798年にナポレオン軍がマルタに侵攻し、騎士団はほとんど戦うことなくマルタ島から去っていき、軍事組織は解体された。ヨハネ騎士団は現在は、世界各地で医療や慈善活動を行っている。
イムディーナは紀元前8世紀にフェニキア人がひらいた古都で、ヨハネ騎士団が来るまでマルタの首都だった。イムディーナは、アラビア語で「町」という意味。大聖堂は、イスラム勢力による破壊や大地震により倒壊したが、その都度再建されてきた。イムディーナは、静寂の街と言われている。カーサ・グルシオンは、19世紀の貴族の館。フォルツォン邸は13世紀に建てられ、増改築が重ねられてきた。フォルツォン邸の向かいには、修道院の教会がある。18世紀末、修道院を舞台に市民たちの反乱が勃発し、フランス軍はマルタから撤退した。
ラバトは紀元前2世紀からローマ人の街として栄え、キリスト教信者にとって重要な場所となっている。聖パウロ教会の地下には、聖パウロが幽閉された洞窟が残っている。聖パウロ教会は、歴代のローマ教皇が訪れて祈りを捧げている。パウロが書き残した多くの手紙は、新約聖書の一部となった。
マルタ島内陸の街・モスタの中心には、聖母マリア教会の巨大なドームがあり、柱のないドームとしては世界有数の大きさを誇る。
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