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良純は鶴瓶と付き合いが長いという。そして俳優デビュー作品の映画「凶弾」についてこの頃は学生で、おじの石原裕次郎が倒れてしまったという。また当時は石原裕次郎の動向をマスコミが追いかけていたが、まだ素人だった自分がその病院に見舞いに向かうとマスコミに囲まれたという。その時に写真を撮られ、それが映画関係者に目にとまり映画出演にまでつながったという。しかし良純はその時役者をしたいという願望はなく、撮影が面白かったという理由でそのまま役者の道へ向かったという。またその後石原軍団に加入した良純は、その当時の先輩が怖かったという。その一員の舘ひろしを鶴瓶が取材した。良純は先輩の舘ひろしが今現場にいたらうかうかと座ってなんかいられないと恐縮したが、今の人は優しい人だと思うかもしれないが自分には怖かったという。当時は石原軍団での年功序列が厳しく、先輩へのお酌を厳しく言われ、カラオケの順番は若手からと決まっていたという。また今の時代について思うことは?には良純は石原プロを抜け後輩もおらず子分体質だったと語った。鶴瓶は舘ひろしも軍団にいたから今の石原良純があると語っていたと伝えた。
また石原軍団といえば食事を振る舞う場面をよくみるが、良純はとにかく全部持って来いというような感じだったと答え、番組関係者が石原プロの専務が打ち合わせで食事の場で全部のメニューを持って来いと過剰なおもてなしを受けたが、その時のおもてなしが後にファミレスのメニューを全部食べるという番組の企画にまでつながったという。また良純が石原軍団時代に起こしたという事件「お好み焼き金庫事件」について、渡哲也が夜中に突然お好み焼きを食べたいよな?と言い出したが、返事はイエスしかないのでその通りに答えたという。しかし店も閉まっているような時間帯にその手配を任された人はどうするのか?と思っていたがお好み焼きを買ってきたという。良純は寝る時間帯に食べたくないと思っていたが、袋から買ってきたものを漁っているふりをしながら金庫の中に隠したという。それで少なくなったお好み焼きを食べようとしたが舘ひろしに金庫を開けてみろと言われ、何も知らないフリをしたが怒られたという。また石原軍団の締めの時の決まり文句は今日あったことは無かった事にといいながら三本締めを行うという。
良純は先程話した石原軍団でのエピソードは40年前になるが、今でも思い出すが今となってはその日々は無駄な時間と言われるがそれが自分には大事な時間だったと答えた。また舘ひろしと一緒にゴルフをするという良純。しかし舘にお前のスイングをみているとゴルフのイメージが崩れると言われてしまったと答えた。また舘と一緒に刑事ドラマをした際には捜査でドアを開けるシーンがあったがその時にもお前のドアの開け方は色っぽくないと言われたという。またその後石原プロを抜けた良純は独立し三原栄子というマネージャーが自分を支えてくれたという。一緒に営業にまわり、自分を売るために必死だったが喧嘩もおおかったと答え育ててもらったと振り返った。次に良純の学生時代の同級生に取材したという鶴瓶。良純はその思い出に父の石原慎太郎が友だちを家に連れて行くと帰れ!と追い立てるという。また同級生は良純について優しくて気遣いができると言っていたというが風邪で寝込んでいた同級生に手作りの雑炊を持参してきたという話もあったという。また父の石原慎太郎については家でも外でも変わらない人でエネルギーがあり、人にあれやれ、これやれと言う人だったという。しかしインプットをよくする人だという。また良純は自身を人の話を聞かない人だと語り、その友人たちも良純と仲良く付き合うコツは8割話を聞き流す事と言っていたという。
良純は石原プロから独立後に本当は同級生の一人が自分のマネージャーをやってくれるつもりだったが兄が選挙に出るために秘書がいないということでそっちにいってしまったという。また同級生から良純は段取り上手だとの声があがったという。良純は番組の収録でも段取り良くやっていると答え、テレビで活躍している身としてテレビに恩返しなければいけないと語ったがここで鶴瓶が突如トイレに立った。石原はテレビについての熱い想いを語った。
良純の俳優仲間の萬田久子に取材してきたという。30年来の付き合いだというが毎月11月の恒例行事の食事会と酉の市に一緒に大勢で向かうという。その時にバスガイドをするという良純だが萬田は天職だと語っていたという。また萬田は良純を兄のような存在だと語っていたというが、良純は萬田はマラソンを行っていて、大会の直前に止まらずに走れとアドバイスをしたという。良純自身もフルマラソンで4時間を切ったことがあると答えた。