イット! 戦後80年 いま、平和ですか
日本の植民地だった旧満州では多くの子どもが現地に取り残され残留日本人となった。名古屋市緑区の介護施設・ひかりの里では中国の東北地方に伝わる大衆舞踊を踊る人々の姿が見られた。中国から帰国した残留日本人が介護を受けていて、熊本出身の庄山陽宇子
さんも家族5人で旧満州に移住した女性となっている。終戦の混乱で離れ離れとなり、4歳で中国に取り残されることとなったが、畑仕事も出来ないとみられどの家も引き取ってくれなかったと振り返る。それでも中国人の家庭に引き取られると于淑琴という名前で育てられ、当時は自分が日本人であるとも知らなかったが、日本の鬼子などと悪口を言われていたと振り返った。庄山さん16歳の頃に初めて自身が日本人だと知ったといい、4人の子どもにも恵まれたが実の両親に合うため日本に帰国し、1999年に家族とともに日本へ永住することとなった。両親に会いたかったが、両親と弟は既に亡くなっていたと先に帰国していた兄から知らされたという。厚労省によると永住帰国を果たした中国残留日本人は6730人だが、庄山さんのように言葉の壁に阻まれている人も少なくないという。庄山さんは日本国籍を持っていても日本人からは中国人と言われる、中国にいけば日本人と言われると苦しさを訴えた。残留日本人も高齢化から介護を必要とする人は増えていると良い、庄山さんは中国残留日本人向けの介護施設を運営することだった。メニューは中華料理が中心で、日本の介護資格を取得した中国人が手助けを行うとともに中国の番組がテレビでは流れていた。施設を運営する王洋さんは妻が残留日本人3世であり、日本で介護資格を取って介護事業を行っている。当初は一般の高齢者向けの施設だったが、言葉の壁で孤立してしまう残留日本人を支えることを考えるようになった。10年前は1人だった残留日本人は現在は70人まで増えているが、全国的に見れば残留日本人への支援は足りていないと王さんは話している。多くの残留日本人を孤立させないための取り組みが求められる状況となっている。