徹子の部屋 (ゲスト 水森かおり)
1年目は仕事があったが、どんどん減っていき、デビューから7年経ってもヒットが出なかったという。水森かおりはその7年は長かった。レコード会社をクビになりかけたこともあると話した。8年目に出してヒットした曲が「東尋坊」。なぜ東尋坊を歌の舞台にしたのか作詞家に聞いたところ「デビュー8年目で水森さんは歌手としても崖っぷち。だから東尋坊にした。」と言われたという。翌年に「鳥取砂丘」が大ヒットし、紅白歌合戦初出場となった。ご当地ソングを作曲する弦哲也も水森かおりと同じ東京・北区に住んでいた。水森かおりの父親と飲み仲間だったという。水森かおりは発声障害になったことがあり、その時は低音が思うように出なくなってしまった。お客さんには発声障害だということを伝えられず、誤魔化しながら歌っていた。現在も完治しておらず、うまく付き合っていくしかないという。