歴史探偵 (歴史探偵)
立花家資料館に展示されている立花宗茂の甲冑を計測すると、身長は180cmと推定できるという。兜は約4kg超で、細川忠興、黒田長政の兜ですら2kgに満たない。また、居城は急峻な地形の上に建てられ、柵や塀で囲まれた建物があった「曲輪」は70~80も発見されている。他の山城だと、曲輪は片手で数える程度。曲輪に弓、鉄砲部隊を配置することで、鉄壁の要塞を誇った。立花宗茂が18歳の時、兵力差8倍の軍勢が立花城を包囲した。宗茂は籠城戦ではなく奇襲を仕掛け、敵軍を撃退した。そして、味方の兵士には金色の兜を着けさせ、戦場のどこにいるか素早く把握し、迅速な指揮が可能だったと考えられるという。
1586年、島津軍が立花城を襲撃すると、立花宗茂は重臣を遣わして降伏した。あくまで時間稼ぎのためで、豊臣の援軍が到着すると、島津軍は撤退を余儀なくされた。豊臣秀吉は約10万石の領地を与え、宗茂は大名に取り立てられた。