東京 戦後ゼロ年

2024年11月14日放送 23:55 - 0:34 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト (映像の世紀バタフライエフェクト)

1945年9月6日の東京の映像が流れた。これは終戦から3週間後の様子だという。アメリカ軍の空襲によって東京では10万人以上が命を落とし、市街地の半分は消失したという。そうした中で尾津喜之助は戦後東京でいち早く闇市を開いたという。こうした闇市は組が行っており、組はみかじめ料を取っていたという。
焼け跡の東京には別世界もある。GHQは進駐と共に850軒の土地や建物を接収した。水洗トイレのある資産家の邸宅はすぐに接収されて将校家族の住まいになった。帝国ホテルは兵士たちの宿舎になり、日本人の立ち入りは禁止された。
1945年11月。東京に終戦後初の冬が近づいていた。病気と飢えで死者が出る状況で、毎日のように死者が出たという。中でも悲惨だったのが戦争で夫を亡くした女性たちだ。この頃戦後初のヒット曲が生まれた映画「そのかぜ」から出た「リンゴの唄」だ。そしてこの頃、戦地からの復員も始まっていた。そのため食糧不足は一層深刻になり、闇商売に身を投じる人もいた。
40万人になる占領軍上陸に当たって性犯罪をおそれた日本政府はその対策として、政府公認の売春施設やキャバレーを管理する組織を作った。ただ占領軍の家族に反対によってこうした施設は中止された。そのため仕事を失った女性は路上で客を取るようになった。
1946年1月。終戦後初めての新年を迎えた。そこには晴れ着を着る女性の姿があった。そして昭和天皇は1946年2月から全国への巡幸を開始した。敗戦から立ち上がろうとする国民を励ますためだ。一方で宗教活動が自由になり、600もの新しい宗教が生まれたという。
終戦から半年近くになり、食料不足は一層深刻になっていった。3週間以上配給が行われないこともあったという。そうした中で板橋の陸軍倉庫から隠匿物資が大量に発見されたという。他にも外務省で隠匿物資が見つかったという。人々の怒りは頂点に至り、天皇に直訴し、食糧メーデーが起きた。GHQは日本の共産化を恐れて大衆運動を取り締まるようになったという。
戦争中は政府の指揮下にあった放送はGHQによって大衆に開放された。一方で闇市は大規模な摘発が始まった。ただ闇市があった場所はその後の復興の出発点にもなった。そして1946年4月10日には男女普通選挙が行われたという。またこの時期に服部良一の曲「東京ブギウギ」がヒットしたという。さらに坂口安吾は敗戦から一歩を踏み出す言葉「堕落論」が戦後の人々の共感を得たという。


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