サン!シャイン 教えてサン!八先生
武田鉄矢が自ら書きためた現代に思うことをプレゼン。きょうのテーマは「戦後歌謡史」。1945年9月27日の出来事を伝える新聞の報道写真に写っている人物は3年9カ月に及ぶ太平洋戦争を指揮し、完膚なきまでに日本を叩きのめしたアメリカの大将軍・マッカーサー元帥。もう1人の人物は昭和天皇、当時44歳。現代で言えば岡田准一さん、星野源さんと同じ年齢。昭和天皇は歴代天皇の中でもこれほどの敗北を体験した天皇はいない。戦争によって約310万人が戦火の犠牲になり、写真は無条件降伏から1カ月ほど経ってマッカーサー元帥を訪問した1枚。写真は占領軍によって撮られ、数日後の新聞に掲載された。写真を見た歌人・斎藤茂吉は日記に「ウヌ!マツカーサーノ野郎」と書いた。天皇を写した写真は御真影と呼ばれ尊崇の対象だった。1枚の写真はすべての日本人に敗北を自覚させた一方、全く違う意味に解釈した人もいた。歌人・児島芳子は写真に「むつまじくマッカーサーと並み立たす一天万乗の君をおろがむ」という短歌を添えた。マッカーサーが天皇を守ってくれるのではないかと直感したという。マッカーサーは初対面の天皇の印象を「日本の最上の紳士である」と語っていた。また、「すべての責任は私にある」と答えた天皇に対し、マッカーサーは「感動した」とも語っている。「『象徴』のいる国で」の著者で戦後史研究者・文筆家・菊地史彦は「この1枚の報道写真から戦後昭和が始まった」と指摘している。
芸能界でも敗北と自由を背負って誕生したアイドルが12歳の美空ひばり。敗戦から4年後の1949年、兄が自ら作った歌を手がかりにして戦争でバラバラになった妹を懸命に焼け跡で捜すという初主演映画「悲しき口笛」が大ヒット。1950年の主演映画「東京キッド」でも母を失った少女を演じ、敗戦にひしがれた日本人に向かって懸命に歌い続けた。1952年の主演映画「リンゴ園の少女」では母を亡くした子が懸命に母を恋しく「リンゴ追分」を歌う。美空ひばりとは小さな自由の女神であった。1983年1月の「シオノギミュージック・フェア’83」で美空ひばりと武田鉄矢は共演し「素敵なランデブー」をデュエットしていた。歌謡界の女王とうたわれた美空ひばりだが、芸能レポーターの中には彼女の悪口を言う人がたくさんいたが、本人は優しく話しかけてくれたという。美空ひばりは生涯、昭和を背負い、空腹に飢え懸命に自分の歌を支えてくれた昭和戦後の人たちに命をかけて歌い続けた。
