特攻のための特攻 熊本から飛び立った義烈空挺隊

2025年11月10日放送 1:01 - 1:13 日本テレビ
NNNドキュメント’25 特攻のための特攻 熊本から飛び立った義烈空挺隊

熊本・菊池市泗水町にある菊池飛行場ミュージアムでは2017年から義烈空挺隊の企画展を開いている。義烈空挺隊は米軍に占領された沖縄の飛行場を破壊する任務を与えられいた。義烈空挺隊の出撃を記録した映像が残されており、義烈空挺隊は1945年5月24日に熊本市の健軍飛行場から出撃した。この日、講演を行った永田は義烈空挺隊の史実を若者たちに語り継いだ。義烈空挺隊は元々は挺進第1連隊というパラシュート部隊であり、空の神兵と称えられるも戦線が後退すると大量の爆弾を身に着けさせられ生還の望みがない特攻作戦を命じられた。千葉・船橋市にある習志野駐屯地 空挺館では柄付き吸着爆弾が残されている。義烈空挺隊は柄付き吸着爆弾を用いて敵の飛行機の爆破訓練を行っていた。1945年5月24日、義烈空挺隊は168人が12機で出撃し、4機が故障で引き返し8機が突入し、新聞では一面で敵機や施設に大きな打撃を与えたと報じていた。しかし実際には義烈空挺隊には激しい対空砲火が放たれ、少なくとも1機が胴体着陸した。その翌日に義烈空挺隊はアメリカの飛行機を破壊はしたが1日で制圧され、113人が戦死した。戦時中、特攻隊の中継基地であった菊池飛行場ミュージアムの展示の一角には義烈空挺隊の企画展が続いており、訪れた吉野は叔父・稲津勝の最後などを初めて詳細を知った。義烈空挺隊は出撃前の2週間を熊本で過ごしており、2008年に営業を終えた観音湯は当時軍の専用浴場になっていた。「帰らぬ空挺部隊」という本には隊員・谷川鉄男と観音湯の女将であった堤ハツとの交流が描かれている。堤は戦後間もなく菩薩像を建て、事実を知る人物たちがお参りにやっていたが義烈空挺隊は次第に忘れ去られていった。永田は検証できる史料になるため形として残していきたいなどと明かした。


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