新美の巨人たち 新美の巨人たち
葛飾北斎は二度結婚し、最初の妻との間には3人に子供が。2番との妻との間には2人の子供がいた。応為の本名は阿栄で、2番目の妻の子供で3女と伝えられている。応為が10歳のときに描いた本の挿絵は遠近法をいかした大海原の帆影。抜群に絵が上手かったという。一度は南沢等明という町絵師の家に嫁いだが夫の絵が下手で笑ってしまい、早々と離縁され実家へ。服装や食事に頓着せず、ゴミは散らかしっぱなしで小さなことにこだわらない、父親ゆずりの変わり者だったという。応為という名前も父親を呼ぶ時の「お~い」から来ているという。しかし北斎は娘の絵の実力だけは認めていたという。