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今回は葛飾応為の吉原格子先之図を特集。
オープニング映像。
今回は葛飾応為の吉原格子先之図を特集。原宿の太田記念美術館にやってきた高島礼子。現在は企画展の蔦屋重三郎と版元列伝を開催中。そこには展示されていない作品をみせてもらった。今日の一枚の吉原格子先之図は建て26.4センチで横39.4センチの肉筆画。夜の吉原の張見世で、行灯が置かれれた格子の中は煌々と輝き、遊女たちがきらびやかな出で立ちで客を待っている。柱の掛行灯にはいずみ屋という店の名前と千客万来の文字が。右手の大きなのれんのある入口には花魁道中を終えた人気の花魁が帰ってきたところ。連子格子のもとでは馴染や冷やかしの客たちが中を覗き込んでいる。
行灯や提灯の光の中にある賑いが夢のような夜の情景を作り出す。遊びにきた男たちは影法師のように描かれ、遊女たちも格子に遮られてほとんど顔がわからない。顔が見えているのは1人の遊女だけ。他の作品と比べても、差は歴然。何が狙いがあったのか?
浮世絵の最高傑作の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」や「北斎漫画」など画狂人の北斎は90年の生涯の中で3万点の絵を残している。しかしその娘の葛飾応為は十数点しか作品がない。その理由は応為は生涯の大半を父のアシスタントとして時には色づけ、細部の描写を担うなど、影で支えていた。
葛飾北斎は二度結婚し、最初の妻との間には3人に子供が。2番との妻との間には2人の子供がいた。応為の本名は阿栄で、2番目の妻の子供で3女と伝えられている。応為が10歳のときに描いた本の挿絵は遠近法をいかした大海原の帆影。抜群に絵が上手かったという。一度は南沢等明という町絵師の家に嫁いだが夫の絵が下手で笑ってしまい、早々と離縁され実家へ。服装や食事に頓着せず、ゴミは散らかしっぱなしで小さなことにこだわらない、父親ゆずりの変わり者だったという。応為という名前も父親を呼ぶ時の「お~い」から来ているという。しかし北斎は娘の絵の実力だけは認めていたという。
応為の作品の、3人の女が三味線や琴を弾き美しい指先が踊る姿と、見事な衣装の色使いが特徴の「三曲合奏図」。北斎は美人画においては娘には敵わないと語っていた。さらに他にも満点の星空の下で夜桜の区を女を描いた作品「夜桜美人図」は光や精緻さが特徴。
日本画家の東京藝術大学の荒井経は、葛飾応為の吉原格子先之図について墨による影の表現だけではなく明るい側や光というのも意識しているという。複雑な色合いの光と影が組み合わされた部分を再現いしてもらう。薄い墨で輪郭を描き、そのうえで墨で陰影を描く。次に色を加えるが透明度のある絵の具で色をのせ、その上に黒い墨をかぶせていく。衣装の模様を描いていくが、荒井先生が驚いたのはここまで細かく組み立てることはあまりないという。そして目を凝らしてみた部分には、その証が。浮世絵の雲母とにかわをまぜたものを明かりが当たる部分に塗る。また提灯には応為の名前と本名の栄という文字が隠された隠し落款が。
吉原は多くの絵師たちに描かれたがどれも華やかに描かれている。しかし今日の作品の葛飾応為の吉原格子先之図での遊女はまるで人形によう。そして画面中央には真っ黒な花魁の影。応為が描いた吉原には憂いにも似た切なげな空気が漂っている。花魁の顔が髪飾りや豪華な衣装に埋もれて能面のように感情を閉ざしている。格子に遮られた他の花魁たちも本心を拒絶しているよう。美人画を得意とする応為が無表情に描いている。
高島は吉原格子先之図について中央の真っ黒な遊女を配置し、男たちがなにか話しかけているという構図にすることで、みている人たちに想像をかき立たせていたと語り、悲しいと答えた。遊女はお金で売り買いされ、逃げることもできない囚われの身。そんな憂いなどを黒い影に込めたともみれる。
90歳になった葛飾北斎を支えたのも応為だった。死の床で葛飾北斎はあと数年生きれば真の絵描きになれると言葉を残し、1849年に亡くなった。その後応為は門人たちに絵を教えていた、旅に出たとも言われていたがその後の消息はわかっていない。
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