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オープニング映像。
東京都国立市は文教都市。やってきたのは六平直政。国立駅を出ると目の前にはもう一つの駅が。旧国立駅舎は大正15年に検察され高さは12.4mで木造平屋建ての駅舎。源氏亜は情報発信の場やイベントスペースとして使用されている。スマートな赤い三角屋根がが特徴で左右非対称になっている。スレート瓦葺きの屋根に、アクセントを与えるのは4つのドーマー窓。正面と背面には高窓があり装飾の持ち送りが。ギリシャ建築のような柱飾りがある。アーチ窓や大きな庇があり、よく見ると庇を支えているのはレール。大量に入手でき、強度もある古レールは駅舎の部材によく使用されていた。
白井裕泰は旧国立駅舎の美しさについて固有なデザインで腰壁には全体的に落ち着きを持たせているという。内部は現代の駅では想像もつかないようなアートセンスに溢れている。大正時代の駅舎はどれも風格たっぷりだが旧国立駅舎はモダン。
大正12年に関東大震災が発生し、被害を受けた東京商科大学も壊滅的な被害に。学長の佐野善作はこれを機に郊外の移転を計画。ときを同じくして、郊外の土地開発に積極的に動いていた企業があり、箱根土地株式会社は土地を開発し住宅地にして販売しその中心に大学をおけば若々しくエネルギッシュな学園都市を生み出せると両者は手を結んだ。選ばれた場所が国分寺と立川間にあった谷保村周辺が選ばれた。壮大な事業がスタートした。
モデルとしたのはドイツの町のゲッティンゲン。学園都市で町のシンボルはゲッティンゲン大聖堂。新たな町の大聖堂を言えるのが旧国立駅舎だった。その駅は国分寺と立川の間にあったことから国立と名付けられた。大正15年に開業した。中心には一橋大学があり目にするのが駅舎。
旧国立駅舎は高い天井の広間があり、いくつもの窓から光が差し込む。かつての切符売り場は、白い壁にグリーンのタイル。荷物預かり所は展示室になっている。設計者は不明。
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旧国立駅の設計者は長らく不明とされてきた。郷土史研究家の長内敏之さんがその謎を解いた。その唯一の手がかりは昭和47年に当時の駅長が記した箱根土地会社のライト式建築家のベテランで、河野という人の設計という記述が見つかった。箱根土地の社員だったという。
河野傳は宮崎県生まれで京都高等工芸学校で建築を学んだのちに携わったのは旧帝国ホテルの建設だった。そこでフランク・ロイド・ライトの支持し技法と精神を学んだ。その後箱根土地に入社し様々な建築を手掛け旧国立駅舎を手がけたが、設計者という確実な証拠はみつかっていないという。半円アーチ窓にはいちょう型の桟が入っていて、窓飾りはライトの住宅建築にもみられた。窓枠や柱にも使用される青緑色はライトが好んで使っていた。
旧国立駅と大学を中心にした学園都市には多くの学校が設立。その玄関のしての駅。昭和26年には駅名をとって国立町に。
都立国立高等学校にやってきた六平直政。母校だと語った。学校近くの歩道橋からは駅舎が見える。
JR中央線の高架化に伴い国立駅舎は解体が決定した。しかし市民団体が保存の階を立ち上げ保存運動を行った。そしてその動きが行政を動かし国立市指定有形文化財になった。文化財指定をうけたことで大きく形を変えずに再建が可能に。
旧国立駅舎は再建にあたり補強した部材と竣工当時の部材を使用しているという。再建で活躍した。
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旧国立駅舎は現在はイベント会場として親しまれている。
次回の「新美の巨人たち」の番組宣伝。