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オープニング映像。
目黒通りを進むとその先に今日の作品の重要文化財の東京都庭園美術館本館。鉄筋コンクリート造で、品のある佇まい。正面玄関にやってきたが玄関扉にはガラス工芸界のスーパースーパーのルネ・ラリックのレリーフがあり、翼を広げた女性像の優美なデザイン。
東京都庭園美術館の大広間はかつて、ダンスパーティーが開かれたことも。アール・デコが際立つのも天井。直線と円系が織りなす照明が見事なリズムを生み出している。主要な部屋内装は、フランスの装飾美術館のアンリ・ラパンが手掛けている。次に庭をのぞむゆったりとした大客室。天井にはルネ・ラリックのシャンデリアがきらめていている。扉にはガラス工芸家のマックス・アングランによるガラス扉が。ケシの花やチューリップなどと抽象化している。
東京都庭園美術館の大食堂の壁面には鈍いメタリックな輝きをはなつ花模様のレリーフが。ひときわ目立つのが次室におかれた巨大なオブジェ。香水塔と呼ばれている。この建物は太平洋戦争を経て首相官邸になり迎賓館にもなったという。
19世紀末にフランスで生まれたアール・ヌーボー。花などの曲線をいかした優雅なデザインで世界を席巻。しかし第一次世界大戦後、ドイツの機能的なデザインにおされてフランスは国際的な競争力を弱めていく。その威信をかけたのが1889年年のパリ万国博覧会。通称アールデコ博。自動車や飛行機など新しい工業化社会を背景にアール・デコ博では、直線や幾何学的な模様をモチーフにした建物が登場。この博覧会の中心にいたのは装飾美術家のアンリ・ラパン。デザイン界の巨匠で、軍事研究のためにフランスに留学中の朝香宮鳩彦王と允子妃は国賓としてこの博覧会を訪れた。明治天皇の第八皇女の允子妃 は白金台の御料地を下賜された。そこでこの地に朝香宮邸の新築を希望された。
白金台の新しい邸宅を建てるために設計は権藤要吉ら、宮内省内匠寮の技師たち。朝香宮夫妻の強い要望でアンリ・ラパンが内装を手掛けることに。デザインした2階は家具や絨毯もラパンの手によるもの。アール・デコ様式となったが、アンリ・ラパンもルネ・ラリックも日本に来たことはなく、やり取りはすべて船便。片道40日のやり取りをこなしたという。日仏合作を象徴するのが次室。鮮やかな朱色の壁は、大理石を砕いて作った人造大理石で、プラチナ箔を練り込んでいる。
学芸員によると香水塔はもともと噴水器だったという。アンリ・ラパンがデザインしフランスのセーブルが製作した噴水器は、上からみると、受け皿のような場所から管が出ている。かつては下から水を汲み上げて受け皿から溢れた水が側面を伝って流れる室内噴水。照明の部分の熱に香水をたらすと香りがしていたという。この香水塔はかつてはバラバラにヒビが入っていた。
香水塔を修復したのが佐野智恵子さん。イギリスで陶磁器の修復技術を学んだ。その技をみせてもらった。エポキシ樹脂で割れた部分を接着。すると細かなヒビや欠損が残る。カラーフィルという技術は接着剤に二酸化ケイ素を混ぜてパテにして顔料を塗り込んで割れた皿と同じ色を作り、欠けた部分をうめていく。接着部分が固まったらはみ出した部分を紙やすりで研ぐ。目の細かい布ヤスリにかえて最後に液体研磨剤で磨く。香水塔は1年7か月かけて修理したという。
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大給湛子は著書で東京都庭園美術館のアール・デコの館についてそれをこよなく愛していた母について、もし明治天皇の娘ではなく現代に生まれていたら建築家か装飾デザイナーになっていたかもしれないと綴っている。しかし暮らしたのは半年余り。
東京都庭園美術館の2階には続く階段にはガラス張りに椿の装飾が。目を引くのは斬新な照明器具。場所ごとにデザインが異なり、40種類。ほとんどを宮内省内匠寮の技手の水谷正雄が手掛けている。
朝香宮允子妃はフランス語に堪能で、絵画や芸術にも深く通じた。装飾美術家のアンリ・ラパン側との調整はすべて手紙で送られた。允子妃は辞書で建築用語をひきながら翻訳したり返事を出したりと深夜まで働くことも。壁紙は見本帳を取り寄せるなどした。2階には姫宮居間があり、テッコーというメタリックな壁紙に。また暖房器具のカバーの装飾は允子妃がデザインした。昭和8年に竣工したがその夏頃から允子妃は腎臓の病に倒れ、秋に亡くなった。
東京都庭園美術館には西洋庭園や、日本庭園がある。更にウィンターガーデンまで。
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東京都庭園美術館の3階は市松模様があしらわれた冬の温室。排水口までおしゃれに。2015年には国の重要文化財に指定された。
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