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オープニング映像。
今回は新発見された伊藤若冲と円山応挙の合作を観に大阪中之島美術館にやってきた渡辺いっけい。開催されていているのは日本美術の鉱脈展 未来の国宝を探せ!。縄文土器から現代アートまで掘り起こそうというユニークな展覧会。中でも最大の目玉は伊藤若冲と円山応挙の合作屏風。左隻は竹鶏図屏風で若冲が得意とした雌鶏らが。かわいいひよこを含め、7羽の鶏が描かれる。地面を掴む足のたくましさ。尾羽がおどるようで奔放で生き生きとした仕草を独特のユーモアで描く。竹の葉の虫食いまで描くのは若冲ならでは。右隻の円山応挙の作品は梅鯉図屏風。余白をたっぷりをとった画面の右側から、梅の枝が力強く伸びている。輪郭線を描かない、付けたてという技で、その先に跳ね上がる細い枝の躍動感。池を泳ぐ鯉は生きているようにさり気なく描いた素振りで立体感と実在感の画力は円山応挙の真骨頂。
江戸時代仲間18世紀の京都は日本美術市場における奇跡の街。池大雅や与謝蕪村、曾我蕭白、円山応挙、長沢芦雪など同じ時代に凄腕の絵師たりが一緒に暮らしていた。その中に寄想の絵師の伊藤若冲もいた。
京都錦小路の青物問屋に生まれた伊藤若冲は23歳で家督を継いだ。しかし商いには興味がもてず、仏門に消え錦小路にあった屋敷で、隠遁しながら絵師の道へ。庭に放った鶏を一年間見つめ続けたが生き物には神気が宿っていると信じていた。そしてようやく写生を始めると、掴んだ神気を表現しようと模索した。その集大成が群鶏図で、画面いっぱいに蠢く鶏たちは動き出さんばかりに迫真の描写。若冲は独特の色彩感覚と魔術的な技法で、めまいを覚えるほどの世界を作った。
円山応挙は徹底的に実物を観察し、その姿を写し取っていた。骨格や質感に目を凝らしあらゆる角度から描いていった。その鍛錬の先に生まれたのが神秘の鯉。静かな池の中で優雅にゆったりと泳いでいる。もう一枚は鯉の滝登りの様子はスリットが入っており、立体画像のように見せている。写生から始まった二人だがその作風は全く違う。京都の文化人や知識人を記した平安人物史によれば円山応挙は絵画の筆頭に。その2番手に伊藤若冲の名前が。若冲の住まいの場所は円山応挙との家とも近かった。
現代の京都で、昔住んでいた伊藤若冲と円山応挙の家を渡辺いっけいが巡る。錦小路から高倉通を南へ。四条通に向かう。ここから東へ行くと堺町通の円山応挙の家があった場所へ。そこには円山応挙の家があったという石碑が。二人の家の場所の距離はわずか220m。
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今回の伊藤若冲と円山応挙の作品が合作であることの証明について山下裕二は金屏風のフォーマットが同じであり、金箔の貼り方も同じだという。 さらに裏打ち紙の継ぎ目の位置も同じであるために合作の根拠になっている。その依頼主はわかっていないという。依頼主Xは全く同じサイズの金屏風を用意し、伊藤若冲と円山応挙に絵を依頼。そして、円山応挙が先に完成させてそれを見た上で伊藤若冲が完成させたのではと語る。先に描いたであろう円山応挙は神秘の鯉と熟練の筆致で描いたが、錦小路から伊藤若冲がいなくなってしまったという。
今回の展覧会には伊藤若冲の釈迦十六羅漢図屏風が。無数のマス目で描かれているが、この絵は推定復元されたもの。戦災によって消失し、残された写真をもとに最新のデジタル技術で復元された。この枡目描きは伊藤若冲が独自に編み出した技法だった。マス目の数は12万個。この緻密な作業を超人的な集中力で誰も見たことのない世界を生み出した。
三井記念美術館は描かずに描く。雪松図屏風では松の木に雪が積もっている。しかし、雪そのものは描いておらず、白い部分は紙の白そのもの。雪の朝という空気感を出すための技法。
天明7年、円山応挙は依頼主Xに頼まれて梅の木と二匹の鯉を描いた。しかし年明けの1月に天明の大火により京都の9割焼失。二人の家や店も焼けてしまった。京都・伏見区の石峰寺。全てを失った伊藤若冲はこの寺に身を寄せて斗米翁と名乗り、応挙から遅れること3年、竹と7羽の鶏を描いた。
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