被爆80年報道特別番組 彼女が世界に語る理由 (被爆80年報道特別番組 彼女が世界に語る理由)
被爆者の小倉桂子さんに密着。コロナ禍の2021年ごろはオンラインで活動。パソコンや携帯電話を使いこなし、動画制作にも挑戦。被爆したのは8歳の時。当時の広島には35万人~40万人が住んでいたが、45年8月6日の原爆で約14万人が死亡。小倉さんが当時いたのは爆心地から2.4kmの自宅前。放射性物質を含んだ「黒い雨」を浴びた。自宅周辺に火傷をした人が次々に逃げてきたという。26歳のとき、アメリカ生まれの馨さんと結婚し専業主婦に。1978年、国連本部で原爆の写真展を開催。
被爆者の小倉桂子さんに密着。42歳の時、夫が病気で亡くなった。悲しみに暮れるなか、「私がつながなくては」と原爆の惨状を海外へ伝える活動を始めた。英語は独学で習得。広島の実相を海外に伝えるボランティア通訳者集団「平和のためのヒロシマ通訳者グループ」としても活動。83年、ドイツで行われた反核模擬法廷で自身の被爆体験を初めて証言。核廃絶を共に訴えてきた被爆者が次々に亡くなるなか、「来年の8月6日、私は元気でいられるかな?」と思うように。