新プロジェクトX〜挑戦者たち〜 車いすラグビー 執念の金メダル 〜仲間を信じて ひとつに〜
島川慎一は子供の頃から集団行動が苦手、高校卒業後、1人でいられる仕事を選んだ。21歳の時、運転中に事故にあい頸髄を損傷した。両手足が麻痺。体感にも障害を負った。医者からは一生車いす生活になると告げられた。1999年、職業訓練所に通い仕事を探していた。ある日、知り合いから面白い競技をやってる。きてみないかと
誘われた。練習場を訪れた、そこでやっていたのが車いすラグビーだった。車いすラグビーに惹かれ、練習場の近くに引っ越し、来る日も来る日もボールを追った。4年後、島川はアテネパラリンピックの日本代表選抜会に呼ばれた。圧倒的なスピードとパワーで違いを見せつけた。日本代表のエースになったがアテネパラリンピックで何も通用せずボコボコにやられ全敗した。チームを強化したくても問題が山積みだった。知名度も金もなく、遠征やユニフォーム代も自腹で借金する人もいた。もう続けられないとチームメートたちが辞めていった。島川は仕事を辞め家も引き払い単身アメリカへ乗り込んだ。アメリカでは最高の環境で練習できた。しかし代表活動のため帰国しても家も金もない。シャワーは街場のネットカフェ。寝るのは車の中。それでも島川は代表の活動に参加し続けた。そこへ朗報が届いた。能力の高い新戦力が車いすバスケットから転向してきた。それが池崎大輔と池透暢だった。こうして攻撃陣の層の厚さは世界トップクラスとなった。リオデジャネイロパラリンピックで日本代表は銅メダルを獲得。準決勝で日本は能力の高い選手がみな独りよがりなプレーに終始した。日本代表はバラバラだった。