まさかの一丁目一番地 享年61… 名曲「愛は勝つ」KANの生き様 最愛の妻と仲間がテレビ初告白!
福岡市で誕生したKAN。中学、高校、大学でバンド活動を行う中で父親と同じ音楽家を志す。そして、1987年に「テレビの中に」でメジャーデビューしたが全く売れなかった。早く世間の目にとまりたいと2年2か月でアルバム4枚というハイペースでリリースしたがどれもヒットしなかった。デビューから3年で「愛は勝つ」が大ヒットした。アルバムの中の1曲だったが、大阪のラジオがきっかけで人気曲になった。「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の挿入歌に使用されると大ヒット。背中を押す応援歌にはモデルがいる。女の子に振られたメンバーを励ますために書いた曲が「愛は勝つ」だった。KANには心に寄り添い愛情を注ぐ歌が多い。バイオリン奏者としてKANのツアーに参加したことがきっかけで結婚した、妻の桜子さんもそんなラブソング「長島ぐつ」を贈られていた。ステージでは羽をつけたり、音楽劇を披露したり、励ましたり元気にさせたりお客様に喜んでくれていることを考えていたという。KANの愛情はものにも注がれ、携帯やジャケットなど壊れても直して使う人だったという。愛は勝つは日本レコード大賞を受賞した。ケンタッキーのCMソングになった「KANのChristmas Song」、三ツ矢サイダーのCMソング「まゆみ」など多くの楽曲がCMソングになった。その頃のKANは愛は勝つのヒットで他の曲に注目が集まらないことに悩んでいた。2002年にKANは音楽活動を休止し、フランスへ。パリで音楽学校に通い2004年に帰国し再び音楽活動に邁進した。KANの音楽に魅力されたミュージシャンは多い。ASKA、山崎まさよし、秦基博など。2020年にリリースしたポップミュージックではダンスを披露している。2023年2月、メッケル憩室がんと診断された。3月にがんを公表し、仕事は続け明るく振る舞った。2023年9月、KANはパリに行った。妻・桜子さんに愛を伝えるためだった。最期の言葉は「守れなくてごめんね」だった。2023年11月12日にKANは次の星へ旅立っていった。