ドキュメンタリー「解放区」 War Bride2 奈緒と4人の戦争花嫁
奈緒が戦争花嫁であるツチノ・フォレスターを取材。ツチノは24歳の頃に空軍兵であった夫・マイクと結婚して渡米した。ツチノは戦争花嫁を取りまとめた団体である日系国際結婚友の会の会長を務めており、戦争花嫁という言葉は欧米では素直にそのままの意味で受け入れられていたが、無条件降伏の日本では当時、男には仕事がなく女は気軽に軍に関係した高給な仕事に就くことができたため、その様子を見下げる言葉として戦争花嫁が使われるようになっていたなどと明かした。嘉悦大学の元教授である安冨成良は、戦争花嫁という言葉が侮辱的であったのかについて、そうした議論が多くされてきた一方で、戦争花嫁と言葉の存在がアメリカで頑張ってきた彼女たちの存在を示し続けるものになるという意見も出ていたなどと解説した。戦争花嫁渡米40周年記念大会当日には全米から320人の戦争花嫁が集まっていた。日系国際結婚友の会は1989年に戦争花嫁たちの交流や地位向上を目的に日系国際結婚親睦会として設立された。ツチノとマイクとの結婚には様々な障壁があり、マイクは当初母が歓迎してくれず、父だけが喜んでくれたなどと伝えた。また当時マイクが所属する空軍からも結婚許可は下りず、第二次世界大戦後にアメリカ38州で異人種間結婚が禁止となっていたなどとマイクは自身の著書に記している。マイクはツチノと出会ったことが人生における最良の出来事であったなどと語った。1945年5月29日の横浜大空襲で多くの知り合いや友人を亡くした一人の女性がいた。