- 出演者
- 春日俊彰(オードリー) 若林正恭(オードリー) ベッキー 近藤春菜(ハリセンボン) 箕輪はるか(ハリセンボン)
オープニング映像
今回のゲストはハリセンボンとベッキー。今年から同じ事務所で仲良し。オードリーと二組はそれぞれヒルナンデス!などで共演しているという。ベッキーはハリセンボンについては共演が多く、一時期同じ時期にレギュラー番組のうち3つで共演する番組があったという。しかし当時のベッキーはハリセンボンに壁を作っていたが近藤は連絡を聞ける隙もなかったという。しかしその後共通の知人がいたことでお互いの仲が急接近したという。またハリセンボンは2004年デビューで2005年から活躍している。デビュー翌年にレギュラー番組が決まると、三年目にはM- 1進出と人気芸人となった。その裏で紆余曲折も経験した。若林は最速で売れたハリセンボンにそういう印象はなかったというと近藤は一期下のオリエンタルラジオが華々しく売れていたが自分たちはその影でぬるっと売れたという。またそのため芸歴が長く最近のタレントには小さい頃からよく観ていたと声をかけられるという。ベッキーは14歳の時にテレ東でデビューしたと答え、25年以上テレビに出ていると答えた。
ベッキーはデビュー当初、他人に壁を作っていた時期が長かったというがその理由に仕事が終わるとすぐさま家に帰り、いかに睡眠の時間を確保し次の日のパフォーマンスを良くするか考えるほど多忙を極めていたという。交友関係を持てるようになった時にようやく楽しいと感じることができたという。若林は若手時代のベッキーについて、自分たちと他出演者とベッキーとで満点★青空レストランにて一緒に地方ロケに向かったが、そのロケバスで皆が寝ている間、ベッキーが作業をしていたが何をしているのかと見てみると服のデザインをしていたという。さらには花の写真を撮影していてこの人は爆発すると思ったという。ベッキーはその頃も多忙だったが皆がロケバスで寝ることに疑問を感じていたという。そのために運転手と話していたこともあったという。しかし再びテレビに戻ってきた今、平成の感覚でこなしてしまうと令和にはそれがあわず、今は自然体に面白い人が好かれると感じ、それに悩み一時期やめてしまおうかとも思ったという。若林も思い当たる節があると語った。ベッキーは現在子どもが二人いると答え、一人目を産んだ際にはゆったりしようと思っていたが、子どもが三歳、四歳になった頃にもう一度バラエティで花を咲かせたいと思うようになったと答えた。また話題は同じバラタレの若槻千夏へ。ベッキーは休んでいた自分に発破をかけてくれたのは彼女だったと答えたが、その若槻はファッションやバラエティ、子どもと旅行に行くなど精力的に活動を行っているという。近藤はその行動力に何も言い訳ができないと答えた。
ベッキーについて近藤はよく聞くのが番組からのアンケートをびっしり書く人だという。その理由にベッキーは書かないと怒られていた世代な為と答え、また若いアイドルにはベッキーと同じようにアンケートをびっしり書くのを真似していると言われると答えた。またタレントのお手本と言わんばかりに自分のアンケートが出回っていて、ベッキーはこのくらい書いていると教材のように使われているという。近藤は番組アンケートは書かないといけないことはわかっているが、その膨大な量に辟易してしまうという。箕輪はさらに連載を抱えているため多忙だが、これは使われないだろうと思いつつも書くと答えた。若林はそうしたエピソードトークについては、ラジオで話してからテレビに持っていくと答え、それが議事録のようになっているという。また近藤はオードリーのライブに観に行ったが、若林がその中でウーバーイーツの配達員を行っているという発言に驚いたという。その行動に芸能人だと公表しながら配達員をしているのに感心したと答えた。またハリセンボンは若手時代体の張っていたという。その内容はコンビで街頭にいた男性に抱けない方を選んでもらい水をかけられるなどがあったという。そのときはドレスアップもしていたが生地が薄く腕もでていて真冬だったので寒かったという。近藤は自分にはまだファーがあったためまだマシだったが箕輪にそれがなく次回は袖がほしいと要望したという。しかしそれでも次の回には袖がつけられておらず箕輪が思わず泣いてしまったと答えた。
近藤は箕輪については感情がわからなかったが、仕事の中でキャバ嬢と口喧嘩をしなければいけずその口喧嘩に負けて泣いていたという。しかし泣いてしまいそうな他の場面では泣かなかったりとそのスイッチがよくわからないと答えた。若林は春日は周囲のしてくれたことに感謝しないと答えたが、自分がネタを書いて持っていってもそれに対しての反応はないという。腹が立っていたがこの人は何も見えていないと思いこむとそれがどうでも良くなったという。近藤も箕輪が起こした行動に不満があったことがあり、人を待たせておいて先にご飯を食べていたことに不満を感じたがそれが気になって指摘すると逆ギレしてきたという。自分はただ一言ほしいと言いたかっただけと答え、結成20年目にしてここで言い合うとは思ってもみなかったと答えた。若林は東京ドームで春日が感謝をしないことをネタにしたのに、いざネタをすると春日がこの舞台に立っていることを感謝してきて本末転倒だったと答えた。
ベッキーは子育てをしながら働くプレッシャーについては芸人のようにネタを作らないので、なにか面白いことがあったらメモをする程度だったという。むしろ子育てをしていない時の方が焦っていたと語り、今は自分の指標が子育てにも向いているので割り切っているという。しかし子育てをしていると台本を読む時間もなくなっているという。しかし若林はベッキーが俳優として活躍するドラマの役柄が気になるという。暴力的な役が多いと言うとベッキーはそんな役ばかりしか来ないという。しかしやりがいがあり、マツコ・デラックスには若い頃から悪女顔なので悪い役の方が似合うと言われていたと語った。若林はベッキーの演技が好きだと語ったが、ベッキーはブルーリボン賞に自分の演技がノミネートされたと答えた。また若林は番組のいいともに出ていた時期にベッキーが皆にスープを配っていたことを告白したがベッキーはこのトークに対しいじっているのかどうかわからないと答えた。一方近藤は箕輪がどんな人か接していてもわからず、距離ができていったという。
近藤は今と昔のバラエティの違いに言われる言葉が変化したという。昔の自分たちのM- 1 のキャッチコピーは痩せ×ブサイク=爆笑だったと答えた。作家が考えたネーミングだがこのキャッチコピーを知ったのは大会当日で、親も温かく見送ってくれ晴れの舞台に立てるという時にこのキャッチコピーを親はどう思うのか?と思ったと答えた。今の時代について箕輪は楽しいと答えたが自分の居場所ではないような気もすると答えた。近藤はさらに箕輪と知り合うまでは人見知りだったが、箕輪がそれ以上の人見知りだったのでコンビのバランスで自分が頑張らなければと思い、こうして性格が変化していったと答えた。またコンビの転機には箕輪は肺結核で入院した時期。箕輪は自分が入院する前は二人の間に距離が感じていたが見舞いに来てくれた時に話して対等になれた気がしたと近藤が語っていたという。近藤は友達として話した時に友達に戻れたと感じ、コンビの関係に変化がもたらされたと答えた。一方箕輪はそんなことは一切考えていなかったという。また2009年のM- 1でも転機を感じたという近藤。その大会中うまくネタができず、その打ち上げでも大人にそれを指摘されてしまったという。落ち込んだ帰り道に箕輪が連絡をくれ励ましてくれたと答えた。
ベッキーは年下のタレントに今のバラエティを聞いているという。年下にそれは今の時代に合わないとはっきり言われながらアジャストしていると答えた。また先輩には今後のベッキーはどうするべきか?と聞くと答えた。そのアドバイスを受けた人には博多大吉や山里亮太などがいて、そのアドバイスで今の自分を作っているという。また近藤は休みの日は観光でエステをするという。その美容の一部を紹介した。
ベッキーは相談したいことにマネージャーとの距離感と答えた。仕事とプライベートのオンオフを知っているマネージャーに冗談や笑顔で話すことができないというが、周囲はそれができていると知り、どうすればいいのか?と相談。マネージャーと食事をしてもお通夜状態になってしまうと答え、マネージャーの間ではきっと自分の陰口がとんでいるかもしれないと答えた。実際ベッキーのマネージャーはベッキーに対し話したいと思っていると答えた。若林らは今は自分たちが若いマネージャーに気を使うと答え、ハラスメントになっていないかなど考えてしまうと答えた。
あちこちオードリーの次回予告。