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オープニング映像。1年365日休まず届ける「ラジオ深夜便」。リスナーとのつながりがひときわ強い番組。6時間の生放送を平均60万人が聴いている。その輪は世代を越えて広がっている。みんなそれぞれの場所で一生懸命頑張って生きている。
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- NHKラジオセンターラジオ深夜便
東京・渋谷区、午後10時52分、この日の担当・徳田章アンカーがスタジオに入ったのは放送13分前。まもなく本番だがスタジオはリラックスした様子。「ラジオ深夜便」は午後11時5から翌朝5時まで毎日生放送、日替わりのアンカー21人が自分の言葉でリスナーに語りかける。午後11時台から0時台は様々な専門家を招いて暮らしを豊かにする情報を届ける。午前1時台は反響のあった回のアンコール。午前2時台から3時台は昔懐かしい音楽の時間。午前4時台は多彩なインタビューコーナー。穏やかな口調でそっと寄り添う深夜の6時間。
全国各地のリスナーたちは寝床で聴いている人もいれば仕事をしながらという人もいる。酪農家の板持若葉さん、62歳。夫と息子と3人で60頭の牛を1日中世話をする毎日。深夜にも搾乳などの作業がある。「ラジオ深夜便」は携帯ラジオでほぼ毎日聴いているという。ラジオ深夜便の誕生のきっかけは1989年の昭和天皇の崩御だった。その前年からNHKは一晩中ラジオで音楽を流した。すると、心地良いので続けてほしいとの要望が届いた。その声に応えて、1990年に放送を開始した。板持さんが聴きはじめたのは20年前。牛の世話は1日も休めず、遠出も難しい中で外の世界とつながることができる時間となっている。日本各地で行われる恒例のイベント「ラジオ深夜便のつどい」は1994年にスタートした。板持さんもイベントに参加し、新たな友達ができた。次第に交流の輪が広がり、遠方からはるばる会いに来てくれる人もいる。
「ラジオ深夜便」に欠かせないのがリスナーから届く手紙。番組への想いや季節の話題、辛口のご意見もある。募集はしていないが、自然と集まるようになった。毎日アンカーが目を通し、放送の合間に紹介するようになった。そんな積み重ねから生まれたコーナーがある。リスナーからの手紙だけをひたすら読む「拝啓、お元気ですか」。毎回400通も届く。「拝啓、お元気ですか」に最も多く届くのは天国に旅立った人への手紙。都内でピアノ教室を営む白井森子さん、57歳。亡き人への手紙を書いたのは3年前だった。海外在住で会えずにいた親友の死、白井さんは伝えられなかった想いを手紙に込めた。60年前に音信不通になった人へ手紙を書いたのは梨農家の山口幸子さん、76歳。山口さんは10代の頃から胸につかえてきた後悔の念がある。中学3年のときから大阪在住の同世代の女性と文通を続け、心を通わせてきた。当時は毎週手紙を出し合っていたが、その関係を山口さんが終わらせてしまった。高校生になった山口さんはクラスメートに発したささいな言葉がきっかけで学校に居場所を無くした。教室の片隅でふさぎ込む日々が続き、やがて手紙を書く気力も失った。頭から離れなかったペンフレンドへの思い、山口さんは60年分の後悔とわずかな期待を手紙に込めた。アンカーの言葉に背中を押された山口さんは思い切って当時の住所に手紙を出した。すると、60年ぶりに手紙が届いた。わだかまりもなく山口さんからの手紙を喜んでくれた。再びつながった2人は互いの近況を伝えあっている。
放送開始から35年。「ラジオ深夜便」は様々な時代の変化を写してきた。村上里和アンカーが7年前に立ち上げ定着したコーナーがある。子育てに悩む親たちを応援する「みんなの子育て深夜便」。専門家とともに悩みに寄り添う。自らも悩みながら2人の子を育ててきた村上アンカーはある母親の声を受けて突き動かされた。子育て深夜便にメールを送ったのは新潟市に住む山田茜さん、39歳。8~0歳まで4人の子どもを共働きの夫と協力しながら育てている。家事・育児に追われる毎日、自分の食事は合間に手速く済ませる。1日の中で子どもたちが寝た後だけが唯一、気の休まる時間。山田さんがメールを書いたのは2021年12月。三女を出産した直後でコロナ禍のため家族とも面会ができなった。病室での不安な気持ち、家族との再会を待ち望む気持ちを書いた。そのメールが読まれた山田さんは、今でも録音を聞き直している。退院後三女につけた名前は澄乃、澄んだ心をもつようにと願いを込めた。
整形外科医の樋口祥平さんは仕事と家庭を両立しようと頑張ってきたが、未熟な自分に対してどうしてもっとうまくできないのだろうと思ってしまっていた。番組にメールをおくり、保育の専門家・大豆生田啓友さんからアドバイス・励ましの言葉をもらった。アンカーとの電話で人生が変わったパパもいる。会社員で2児の父である平田敦史さん。仕事に追われた5年前、育児をしたくてもできない日々が続いていた。悩みをメールで送ると村上アンカーから電話がきた。平田さんは自分を褒めてもいいというのを教えてもらったような気がする、「ナイス育児」と言ってもらえたのはのちのちすごく響いたと話す。放送後、育児と両立しやすい会社に転職した。
世代を越えて「ラジオ深夜便」を引き継いできた人がいる。手作りのお菓子を販売する杉本霞さん、41歳。5人の子どものを寝かしつけた後、午前1時半から5時までラジオを流しながら作業をする。聴きはじめたきっかけは大好きなおばあちゃんだった。祖母の渡邊昌子さんは35年前の放送開始当初から熱心なリスナーだった。やがて自分も仕事のお共に聴くようになった。3年前に5人目の子どもが生まれると、家と仕事場を2時間おきに往復し、授乳とお菓子作りを続ける日々になった。そんな日の夜、ラジオから流れてきた「今日は寝てしまおう」という曲が流れてきて涙が出たという。祖母の昌子さんは94歳で天国へ旅立った。遺品を整理していると、ラジオ深夜便のインタビューコーナーを録音したCDが出てきて忘れ形見となった。
エンディング映像。