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オープニング映像。
1994年8月31日。ジュリアナ東京の最盛期には1日3000人が詰めかけたが警視庁の注意を受けお立ち台を撤去し客足が遠のいた。元副支配人の高野さんは現在、カラオケバーを経営している。お立ち台で目を引く純子さんは介護の仕事で自宅を訪問しリハビリをサポートしている。純子さんがジュリアナ東京と出会ったのは大学生の時でバレーボールに打ち込んでいた。いとこに誘われジュリアナ東京を訪れ、バレーボールの練習が終わると毎晩のように通ったという。純子さんはジュリアナ東京でスカウトされモデルデビューをし、27歳でモデルをやめ世界を巡るバックパッカーをし、タイでムエタイの選手になり9年間活躍した。そして30代半ば、理学療法士へ転身し、現在は1日8件を受け持っている。
純子さんの情報をもとにしげみさんを尋ねた。しげみさんは現在、歯科医師になっていた。しげみさんがジュリアナ東京と出会ったのは歯学部6年生のとき、夢中で通ったという。遊びと学業の両立に全力を注ぎ、歯科医師の免許を取得し30歳で勤務医となった。しげみさんは現在、働きながら子育てをしている。
1971年7月20日。世界最大のハンバーガーチェーンがオープンしファストフードの文化が広がった。山迫さんは日本1号店で店長を務めた。オープン1か月前に入社しアメリカから送られてきたマニュアルを翻訳し店舗を運営するノウハウを学んだ。オープン当日、由美かおるが来店していた。店のオープンと同じ頃、銀座で歩行者天国が始まり、路上で食べるスタイルがブームとなった。オープンから1年、1日あたりの売り上げが世界一の店舗となった。店長就任から2年後、山迫さんはハンバーガー大学で講師となった。現在は小学校の課外授業で講師をしブームを作った経験を伝えている。
1978年6月16日。インベーダーゲームが発表された。過疎化に悩む村で村おこしに情熱を捧げた映像にはインベーダーゲームが映っていた。当時、若者のリーダーだった横道さんがインベーダーゲームがあった喫茶店を案内してくれた。若者たちはこの喫茶店で熱い議論を交わし町おこしをしていた。それでも過疎化に歯止めがかからず若者たちは村を去った。横道さんは村に残り地域のために奔走した。村に立ち寄る人を増やすため道の駅を設立し地域の特産品を販売する施設を運営している。
美濃部さんはインベーダーゲームと出会い人生が変わった。美濃部さんは講師を目指していてインベーダーゲームが役に立ったという。インベーダーゲームでコンピューターに興味を持ちIT企業へ就職し現在もシステム設計の仕事をしている。インベーダーゲームで世界的研究者となった人がいる。慶応義塾大学先端生命科学研究所所長の冨田さんはコンピューター解析を駆使した生命科学の研究者。冨田さんがインベーダーゲームと出会ったのは大学2年生のときでハマりコンピュータープログラムに興味を持つようになった。本格的にコンピューターを学ぶためアメリカに入学し人工知能の研究で成果を上げ助教授となった。海外で活躍する日本人が出演するビールのコマーシャルに抜擢された。日本に戻った冨田さんは血液の成分をコンピューターで分析しがんやうつ病を早期に発見する手法を開発し独創的な成果を上げた。
新プロジェクトXの番組宣伝。
映像の世紀 バタフライエフェクトの番組宣伝。
うたコンの番組宣伝。