- 出演者
- 長谷川忍(シソンヌ) バカリズム 佐藤真知子
オープニング映像。
2010年6月、医者になって4年目の中山さんは学会に出席するためにオーストリアに向かっていた。機内で急病人が出て、放送で医者を探していた。中山さんは名乗り出た。男性は意識はなく血圧70以下とみられる危険な状態。男性は2時間後、意識が回復した。中山さんは飛行機の中で「お客さまの中にお医者さまはいませんか?」と聞かれ名乗り出て急病人を助けた人。
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- オーストリア
飛行機の中で「お医者さまはいませんか?」と聞かれ名乗り出て急病人を助けた中山さんと大野さんがスタジオに登場。中山さんは大腸がん専門の外科医・作家で好きな食べ物は妻の作る牛すじ煮込み。大野さんは腎臓内科専門の内科医で好きな食べ物はうな丼。2人はお互いの名前を知っていた。大野さんはジャカルタに住む友人に会いに行った帰りの飛行機で離陸した直後から機内の様子が変だったが前日深酒をしたので休みたかった。その後お客様の中にお医者様はいませんか?とアナウンスされ体が反応し周りの視線を集めた。急病人は4人席の肘掛けを上げて横たわっていて意識はなくいびき呼吸だった。急病人は20代男性で持病があり薬を飲み忘れたのではないかと推測し荷物の中にてんかんの薬を発見した。中山さんは大手航空会社の幹部の方からヒアリングを受けた。
中山さんが処置中にCAから言われた衝撃の言葉とは、「緊急着陸の準備があるが判断してください」。緊急着陸するかどうかの判断を委ねられたという。大野さんの場合はすぐに判断できず保留にし、回復の兆しが見えたのでそのまま飛行するという判断をしたと話した。中山さんの場合も緊急着陸の判断は一旦保留し、ロシア上空を飛行中でロシアの医療状態や言葉も通じないのでそのまま飛行したという。航空会社から後日お礼の手紙をもらい、中山さんは帰りの飛行機でワインをプレゼントされた。また飛行機での救命において医者が抱えるリスクもあり、飛行機の中で救命行為をして重大なミスをしてしまったら訴えられる可能性があるという。アメリカなどでは、急病人や負傷者を助けるために善意でとった行動が結果的に失敗してもその責任を問われないという法律、善きサマリア人の法がある。中山さんは国内線の飛行機の中で急病人を助けた2回目もあると話し、その時は割と堂々としていたという。
ミラークルさん・水木翔子さん登場。水木さんは、雷に打たれたのに無事だった人。
雷に打たれたのに無事だった人。もう一人のミラークルさん・太田英基さん登場。江戸川大学・鳥越規央先生によると、雷に打たれて生存する確率は0.000005%だという。水木さんはシンガーソングライターとして活動しており、雷に打たれた経験をもとに書いた「さよならはまだよ」という曲がある。太田さんが雷に打たれたのは、3~4年前の6月に登山をしていて山頂の近くまで登った時にゲリラ豪雨が近づいてきて雷が鳴っていて、突然目の前が真っ白になり轟音が聞こえ全身の感覚がなくなったという。その際友達も雷に打たれていた。5分ほどで体の感覚が徐々に戻り、20分ほど経つと歩けるようになったという。
水木さんが雷に打たれたのは家の中だと話した。窓際にあるシンセサイザーを弾きながら生徒に歌の個人レッスンをしていた時、生徒が歌の音程を外し指摘するために左手を上げた瞬間に右手の指に雷が入ってきたという。その瞬間視界が真っ白になり体が吹き飛ばされた。生徒は雷に打たれていなかった。右手に痛みはなく、2~3週間動かせなかったという。太田さんは20分後には動けるようになったが全身が重度の筋肉痛のような痛みがあった。実際に二人の身に何が起こったのか、雷研究の第一人者湘南工科大学・成田知巳教授が分析した。太田さんの場合、岩山は落ちた雷が表面を伝わり足に流れ感電した可能性があり、生存できた理由としては足に伝わった電気が心臓を通らずにもう片方の足に流れたと推測される。水木さんの場合、電柱に落ちた雷が配電線を伝わりコンセントとシンセサイザーを通って右手に流れた、生存できた理由としては雷が多くの場所を経由したことにより小さくなった、心臓を通過しなかったなどが推測される。
「ノンレムの窓」番組宣伝。
太田さんは雷に打たれた年は異常だったと話し、3ヶ月後くらいに友達と相席居酒屋に行ったら実の姉が出てきたと奇跡的なエピソードを話した。
バカリズムさんは「面白かった、よくオファーしてちゃんとお話受けて頂けた」などとコメントした。
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