- 出演者
- 松嶋菜々子
オープニング映像。
平成元年、佐賀県の吉野ヶ里遺跡で弥生時代の集落が発掘された。この地が邪馬台国だったのかもしれないと吉野ヶ里フィーバーが起きた。この発掘作業の目的は企業誘致だった。2000人の雇用が期待されたが、そこは遺跡が眠っているのではないか?と言われていた。1986年に調査のための発掘が始まり、その後は埋め戻すことが決まっていた。発掘調査のリーダーだった七田さんは幼い頃から発掘に夢中になっていた。発掘時、土地ではおびただしい数の甕棺墓が発掘されていた。また大きな堀も見つかり吉野ヶ里は日本最大級の環濠集落の可能性が高まった。同じ頃奈良県では遺跡の上にデパートが建設されていた。吉野ヶ里でも工業団地の起工式が行われた。その1ヶ月後、吉野ヶ里が魏志倭人伝の記述に対応する一級品の遺跡だと朝日新聞が伝えていた。これに開発側は慌てた。報道直後から現地には全国のファンが押し寄せた。遺跡の保存を求める陳情書も提出されたりした。遺跡を巡って様々な声が渦巻く中、遺跡を保存する方針が打ち出された。
発端はスクープの11日前。西日本新聞とサガテレビが著名な研究者たちを案内した。また吉野ヶ里研究の第一人者である佐原眞の耳にもそれは届いた。その頃、発掘現場では埋め戻しの準備が進められていた。佐原が訪問する日は工事開始の7日後だった為、七田は当時の現場監督に泣きつき1週間待ってもらった。発掘現場にやってきた。佐原は朝日新聞東京本社を訪ね自身の吉野ヶ里行きを伝えていた。佐原自身は畿内説を主張していたが吉野ヶ里が研究の大きな手がかりになると感じ、立場を超えて広く訴えようとした。朝日新聞とNHKがスクープを報道した後、報道合戦の火蓋が切られた。朝日とNHKのスクープから5日後、下村たちは墳丘墓の存在をすっぱ抜いた。当時の佐賀県知事は墳丘墓の発掘調査の結果を見て今後の対応を決めるとした。墳丘墓の中には副葬品が眠っていた。工業団地の一部が保存されることが決定した。その後吉野ヶ里遺跡は国の特別史跡に指定された。
作家・松本清張は古代史をテーマに執筆をしていた。松本清張記念館には古代史の研究に用いたノートが残されている。邪馬台国論争の中で最も有力な説は畿内説だ。松本清張が邪馬台国の所在にこだわったのは日本書紀への疑念によるものだった。松本清張と共に九州の遺跡を数多く歩いた高島さんからも話を聞いた。その後、奈良で纒向遺跡が見つかった。七田忠昭さんは吉野ヶ里遺跡の本当の価値をくみ出すためにも調査を続けていかなければならないなどと話した。
アナザーストーリーズ 運命の分岐点の次回予告。