平成元年、佐賀県の吉野ヶ里遺跡で弥生時代の集落が発掘された。この地が邪馬台国だったのかもしれないと吉野ヶ里フィーバーが起きた。この発掘作業の目的は企業誘致だった。2000人の雇用が期待されたが、そこは遺跡が眠っているのではないか?と言われていた。1986年に調査のための発掘が始まり、その後は埋め戻すことが決まっていた。発掘調査のリーダーだった七田さんは幼い頃から発掘に夢中になっていた。発掘時、土地ではおびただしい数の甕棺墓が発掘されていた。また大きな堀も見つかり吉野ヶ里は日本最大級の環濠集落の可能性が高まった。同じ頃奈良県では遺跡の上にデパートが建設されていた。吉野ヶ里でも工業団地の起工式が行われた。その1ヶ月後、吉野ヶ里が魏志倭人伝の記述に対応する一級品の遺跡だと朝日新聞が伝えていた。これに開発側は慌てた。報道直後から現地には全国のファンが押し寄せた。遺跡の保存を求める陳情書も提出されたりした。遺跡を巡って様々な声が渦巻く中、遺跡を保存する方針が打ち出された。
住所: 東京都文京区後楽1-3-61
URL: http://www.tokyo-dome.co.jp/
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