- 出演者
- 村上龍 小池栄子
オープニング映像。
今年といえば日本付がWBCで三大会ぶりの世界一に。WBC日本代表前監督の栗山英樹は今行く先々で大人気だという。どうやって侍ジャパンを勝ちきらせたのか?その栄光の裏には痛みが残る挫折もあったという。最初の舞台は西伊豆にある静岡県松崎町。10月に役場に栗山の姿が。今回役場に招かれた理由は松崎町は観光の町だが住民の高齢化が進み、活性化に頭を悩ませていた。その思いを町長が手紙を出し栗山にダメ元でお願いすると快諾してくれ講演会をすることになったという。
栗山は松崎町で講演会を行い、気さくな感じで聴衆をつかみ、WBCのエピソードトークに突入。選手の話に会場が聞き入った。大谷翔平選手が投打で活躍し日本ハムが活躍した2016年。その年のクリスマスイブの深夜には大谷は1人バッティング練習をしていたという。それを踏まえ若い人にやりたいことをもつ思いを大切にしてほしいと答え、人々に共感を呼ぶ講演となった。こうしたラブコールが栗山のもとに殺到し、宮崎県小林市の高校生が中心となり企画したイベントに出向いた。本人はこの人気ぶりに人生でこんなに人に褒められたことがなく、だめになっていくような感じがあったと答えた。この日は大手町で企業セミナー。主催する企業から頼まれたサインを描いていたが「夢は正夢」としたためた。選手時代からの座右の銘だという。
始まったのは三菱地所グループの企業セミナー。栗山は選手との向き合い方を例にリーダーの心得を語った。こうした企業からの講演依頼もひっきりなしにやってくるという。その一方でオリンピック選手のコーチ陣を育成する講師をつとめるなど、リーダー栗山の手腕が求められている。これまで自身の考えは多くの著書の中に記してきた。論語などの古典や経営者の言葉などをヒントに時間をかけて練り上げてきた。この日の企業セミナーのテーマは「組織作り」。WBCの際には選手に手紙を書いていたというが、あなた自身が侍ジャパンだと綴ったという。栗山はドラフトにかかからずに、プロの道はヤクルトのテスト生からスタートした。一軍と二軍をいったりきたりし7年間食らいついたが29歳で引退した。輝かしい実績もコーチ経験もなかった栗山だが引退から22年後に日本ハムの監督に。そこであるやり方を貫いた。日本ハム時代、WBCでもコーチをつとめた城石さんは、選手に抑えてくれ、打ってくれとは言わず、選手を信じきるというが、それが選手のモチベーションを高め、持っている力を最大限に引き出すことができる。実際日本ハムでは強敵と渡り合い、日本一にも輝いた。
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栗山は現在東京に暮らしながら2拠点生活を送っている。その一つの北海道の栗山町で今年10月に栗山警察署の一日所長に就任した。地元の人は長年の友達だったかのように栗山と交流する。また行く先々で人々の心を引き付ける。幕張のショッピングモールで行われたイベントも大盛況でサービス精神も満点だった。栗山は今講演会などのペースについてはずっとばたばた走り続けているが、色々応援してもらったので色々な場所でお礼をしてもらっているような感覚だという。また講演の依頼者は何を聴きたいか?については今回WBCで優勝させてもらったが自分は何もしていないと答え、選手が頑張ってくれたという。講演でおねがいされるのはそういう難しいタイプの人たちをどう集めどう生かしたのか?と聞かれるという。また個性が強い選手たちをまとめることは不可能であり、ここに行こうという方向性を示し、選手たちが同じ方向だけ向けばやり方は勝手にやっていいよとしたほうが良いと答え、WBCでは子どもたちに夢を与える等と唱え皆の目的を定めたという。またコーチはこのタイプにピッチャーにはこの人がいいと選別していないといけないが、監督に関してはお前を信じているというのを選手に伝え、試合に出してあげないと力が発揮できないという。しかしそれでもだめだったら?について栗山は完全に知らん顔をするというが一切リアクションをせず責めないと答えた。
WBCの準決勝でメキシコと戦った日本は一点ビハインドの最終回で三三振の村上に打席がまわった。ヒッティングの作戦があたり、ランナー2人が生還し日本はサヨナラ勝ちに。村上が打席にたつ前に、栗山は城石コーチに村上に「ムネに任せたと言ってきて」と述べたという。村上がそれまで三三振をするなど不調だったために、色々な思いをもってその打順を待っていたと感じているというが、監督は自分を使って伝令で任せたといって気持ちをスッキリさせて打席に向かうという、そこの違いはものすごく大きなものがあるという。栗山はその時の決断に村上と心中するのがベストチョイスだったという。またWBCでは優勝するイメージをずっと持っていたか?については野球の監督は経営者に学べとよく言われ、WBCでは最後のシーンのダルビッシュ選手から大谷選手で終わるイメージは監督になった時にイメージがあったという。
栗山は北海道の栗山町にいた。名前が同じという縁で、この町の観光大使を引き受けた栗山は、2002年には資材を投じてある施設を作った。それは栗の樹ファーム。一角にはログハウスがあり、中で来訪者を待っているのは栗山のお宝コレクション。選手が使用したバットやグロープを展示し直接触る事も可能。さらに壁一面には栗山が自ら購入した野球人形のコレクションも。東京の小平市に生まれた栗山は小学校で野球に夢中に。高校は創価高校に進学し、野球部でキャプテンを務めプロを目指した。しかし将来を心配した両親が猛反対。それなら教師になろうと東京学芸大学に入学し教員免許を取得。しかし学体ではドラフトで声はかからず、ヤクルトの入団テストを受験し受かりテスト生で入団した。しかしここから苦難の道へ。
栗山はヤクルトの入団テストを受験し、テスト生で入団した。しかしここから苦難の道へ。実際に練習してみると、他の選手とのレベルが違いすぎて100年練習しても無理というくらい差があったという。また入団後にメニエール病にかかりめまいに悩まされ1軍に定着できない日々が続いた。結局実働7年で引退した。栗山はそれがトラウマになっていると答え、一人前に仕事ができるようにと思い選手をやめたという。栗山はメニエール病になっても野球を続けていたのはめまいがしながら野球ができる状態になれば野球ができると考えたという。また自分が運営している施設には野球グッズのお宝があるがこれは、他の人からも集めたが、博物館などとは違い実際に触れることができ、プロの選手が握っているバットなどを直に感じてほしいと思い集めたという。
引退後はスポーツキャスターや解説者として活動していた栗山。野球愛で2002年に野球場を創設したがきっかけは野球映画のフィールド・オブ・ドリームス。現役引退後に撮影現場となったアメリカの球場を訪れ、現場で多国籍の子が一緒に遊んでいて言葉が通じないのに試合を初めていて、こういう環境を作り人と人が結びついて子どもたちに伝えたいことが伝わるのかと感動したという。出来上がった球場を栗山は無料開放し、ここで定期的に野球教室を開いてきた。そんな栗山に信じられない話が舞い込む。それは北海道日本ハムファイターズから監督就任の打診だった。栗山は自身の野球愛が運命を切り開いたと思っているという。2012年には日本ハムファイターズの監督に。通常新監督は自分が信頼するコーチを引っ張ってくるが、栗山は違い球団との打ち合わせの席で同じ人で良いと伝えた。栗山には頑なに守ってきた流儀があり、常識にとらわれるのはバカみたいだと答えた。セオリーに縛られないというがその流儀が大谷翔平との関係に象徴され、2013年に゙北海道日本ハムファイターズに大谷選手が入団すると栗山はかつてない育成プランを打ち出す。それが二刀流だった。バッターとピッチャー両方で育てることにしたがその事に周囲が騒ぎ出したという。栗山は周囲の反対の声もあったが彼にはそれ以上に才能があったと答え、成功すると信じていたという。大谷はドジャースと契約し最も価値のある選手に。
栗山は常識にとらわれなかったのは常識は最初は常識ではないと答え、誰かがやってそれが普通になるから常識であり、常識は最初に外してしまった方が良いと思っているという。さらに街なかの人の質問を紹介。尊敬される人になるには?に栗山は自分の持論では監督を選ぶ立場になった場合どんな人が選ばれるか?について自分は担がれる人と言っているという。能力よりもこの人の為なら手伝ってあげたいなどとそういう魅力がある人だと答えた。
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自分の子供を大谷翔平のように育てるには?という質問に栗山は両親が素晴らしいというが、本人が両親の姿をそのまま自分の心のなかに入れいて、それが彼の人格に直結しているように思えると答えた。
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小池はWBCを追いかけたきっかけはヌートバー選手が気に入ったためだという。栗山は未だにそのヌートバーの母親とよく連絡をとるという。
村上龍は今日の総括に、1984年テストを受けヤクルト入団。86年、規定打席には足りなかったが打率・301。このころの必需品はワープロ。まだPCが普及していないころ、コーチからのアドバイスなどを記録していた。89年ゴールデングラブ賞を受賞。広い守備範囲、ダイビングキャッチの強さは見せ場を作った。「ホームランを打つと視線が全部集まる、グラウンドを支配できる。それと同じ気分でした」栗山さんが自分のことを話すことは極めて少ない。でも、ダイビングキャッチのことを話すときはとても、うれしそうだった。とした。
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