2025年9月23日放送 14:20 - 14:50 NHK総合

ゴッホが日本にやってきた!〜名画の誕生と家族〜
東京編

出演者
 - 
(オープニング)
ゴッホが日本にやってきた!〜名画の誕生と家族〜

松下洸平がサポーターを務める「ゴッホ展家族がつないだ画家の夢」。東京展が上野・東京都美術館で始まった。ゴッホの作品30点以上が来日している。日本初公開となる直筆の手紙も展示されている。ゴッホの人生と家族との関係を深堀りし、ゴッホが世界から愛されるようになった謎に迫る。

キーワード
ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢フィンセント・ファン・ゴッホ上野(東京)東京都美術館画家としての自画像
ゴッホが日本にやってきた!〜名画の誕生と家族〜

「ゴッホ展」の準備は、4年前から始まった。東京都美術館の学芸員・大橋さんが中心となり、展覧会関係者とともに、ゴッホの足跡を辿った。この日は、ベルギー南部にあるかつての炭鉱町を訪れた。画家になる前、ゴッホが一時期暮らしていた場所。炭鉱夫やその家族に心の安らぎを提供するため、ゴッホは、キリスト教伝道師として働いていた。彼が住んでいた家は、当時の姿を残している。ゴッホは、熱心すぎて、周囲とうまくいかなくなった。

キーワード
ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢フィンセント・ファン・ゴッホベルギーマルカス炭鉱東京都美術館
27歳 聖職者の道を断念し画家になると決意

ゴッホは27歳で、聖職者の道を断念し、画家になると決意。画家になった理由のひとつは、弟・テオの勧め。ゴッホは、美術商の会社で働いた経験もあった。もうひとつの理由は、ゴッホが芸術の力を信じていたから。素晴らしい芸術作品は、神の言葉が宿ると考えていた。伝道師でなくなっても、芸術家になることで人々を救えると思ったという。ゴッホの父は牧師で、親戚にも聖職者がいたという。ゴッホは、故郷・オランダに戻り、ニューネンにある両親の家に同居して、アトリエを構えた。弟のテオは、給料の中から絵の具代や生活費をゴッホに渡していた。ゴッホはほぼ独学で絵を学んだ。描きたかったのは、炭鉱夫や農家の人々など。テオ宛ての手紙のなかで、ゴッホは、どこか人間味のあるささやかな痕跡を残したいなどと綴っていた。

キーワード
ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢テオドルス・ファン・ゴッホニューネン(オランダ)パリ(フランス)フィンセント・ファン・ゴッホ女性の顔牧師館
32歳 芸術の都 パリへ移り住む

画家になって5年が経った32歳の時、ゴッホは、パリに移り住んだ。弟テオの家に押しかけ、一緒に暮らし始めた。テオの友人たちは、ゴッホが来たことで、テオの生活はめちゃめちゃになったと証言していたという。テオは、ゴッホの才能を信じ、支えていた。当時は、印象派や新印象派といった新しい画家たちが評価され始めた時代。ゴッホは、パリに来て、そうした次世代の画家たちと友人になったり、作品を交換したりするようになった。画家仲間からゴッホが認められ始め、テオの自信にもなったという。パリで、ゴッホは、色彩や筆使いを研究するため、繰り返し花を描くようになる。2年で、独特な色使いが表れてくるようになった。今回のゴッホ展では、日本初公開のゴッホの手紙が来日。画家仲間に宛てた4通で、貧困層の男性のスケッチとともに「孤児男を描くのに忙しい、街で見かけるような人物を描くのは簡単ではない」と記されている手紙もある。

キーワード
グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢テオドルス・ファン・ゴッホハンス・ライテンパリ(フランス)フィンセント・ファン・ゴッホヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル 画家ゴッホを世界に広めた女性川副智子東京都美術館
34歳 パリから南仏アルルに居を移す

パリで2年を過ごし、34歳のゴッホは南仏アルルに居を移す。ゴッホの足跡を辿ってきた大橋さん、アルルで描かれた風景画にはゴッホ独特の視点があったと実感したという。作品の中で「自然」は大きなテーマだが自然と人との関わりやゴッホがどう自然をみていくか、「「耕された畑」など人が長いあいだ時間をかけて耕し生活の糧を得てきた土地そのものに暖かいまなざしを共感を持って見ていたと思うので思いを感じる」などと話した。この時期のゴッホの言葉に「音楽のように人を慰める何かを僕は絵画で伝えたい」と弟テオ宛の手紙に記している。今回のゴッホ展で展示されている「種まく人」もアルルで描かれた作品。アルルでゴッホは画家仲間と共同生活を実現しようとした、切磋琢磨し芸術の未来を切り拓きたいと考えた。弟のテオはゴッホが尊敬していたポール・ゴーギャンに声をかけ、アルルに来たが一緒に暮らし初めて2カ月ほどで仲違いし共同生活は破綻した。

キーワード
アルル(フランス)ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢テオドルス・ファン・ゴッホパリ(フランス)フィンセント・ファン・ゴッホポール・ゴーギャン包帯をした自画像浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて種まく人耕された畑
36歳 サン=レミの療養院に入る

一件で心の深い傷を負った36歳のゴッホはアルルにほど近いサン=レミの療養院に入り、心の治療を続けながら調子の良い時には絵を描く生活をした。その中で風に揺れる糸杉やオリーブの木など身の回りの風景をモチーフに傑作が生み出され、南仏の風土はゴッホ独自の画風を完成させる後押しになった。大橋さんは「地中海沿いの明るい光やその下でのきらめくような色彩にゴッホは強く感動、その風景をいかに絵にしてゆくのかと考えたときに写真のように描いても伝わらないと考えた。「オリーブ園」では様式化・装飾花し、空は細かい筆触で光を取り入れようとしオリーブの木はリズミカルなモチーフで配置した」などと話した。療養院に入ってから9か月後にテオから結婚したヨーとの間に子どもが生まれ、兄さんのようにとフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホと名付けたと報告があり、喜んだゴッホは「花咲くアーモンドの木の枝」を描いて贈った。今回のゴッホ展では花咲くアーモンドの木の枝など名作によるイマーシブ空間が実現した。

キーワード
アルル(フランス)オリーブオリーブ園ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢サン=レミ(フランス)テオドルス・ファン・ゴッホフィンセント・ファン・ゴッホヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル地中海東京都美術館糸杉花咲くアーモンドの木の枝
37歳 南フランスを離れ パリ近郊の町へ

37歳になったゴッホはパリ近郊の町・オーヴェル=シュル=オワーズへ訪れる。心の病が治らない中で環境を変えてみようと引っ越した。この町で頻繁に会い芸術談義をしたのが医師で画家のポール・ガシェ。ガシェはゴッホに「ひたすら仕事して過去に目を向けるな」と助言したという。ゴッホは意欲的に町の教会から小さな街なかの小道など絵を描き続けた。画家になって10年経っても絵が売れないゴッホだったが、この町に来て2か月余で50点を超える素描と74点の油彩画を描いた。ある日、パリから弟のテオ一家が訪ねてきた。ガシェ医師の家の中庭で昼食会を開き、ゴッホはテオやヨーとの会話を存分に楽しんだ。翌月にはゴッホがパリを訪ねるなど、家族の交流が続いた。ところが3週間後、ゴッホは麦畑の中で自分の胸を拳銃で撃ち、ゴッホの人生は37歳で幕を閉じた。その半年後には弟のテオが病死する。テオの妻のヨーは、ゴッホの評価を高めるために動き出す。テオから引き継いだ絵を使って大規模な回顧展を開催。ゴッホからテオに宛てた大量の手紙も整理し、書簡集として出版した。

キーワード
オーヴェル=シュル=オワーズ(フランス)テオドルス・ファン・ゴッホハンス・ライテンフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホフィンセント・ファン・ゴッホポール・ガシェヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲルヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル 画家ゴッホを世界に広めた女性川副智子農家麦の穂

晩年になってもヨーの活動は続いた。ヒマワリの絵をロンドンのナショナル・ギャラリーに売却する。こういった一連のヨーの動きがあったからこそ、ゴッホは世界中で名声を得ることが出来た。ヨーが尽くした理由としては、夫のテオの意志を引き継ぎたかったことや、ゴッホの芸術や思想に共感し尊敬していた。ヨーが亡くなった後は、息子のフィンセント・ウィレムがその意志を引き継ぐ。ゴッホの故郷であるオランダで美術館の設立に力を尽くした。傑作の数々や貴重な資料をゴッホの人生や夢と共に伝えている。今回、展覧会の開催にあたり、テオのひ孫が来日した。ゴッホ展は東京都美術館では12月21日まで、愛知県美術館では来年1月3日から3月23日まで開催される。

キーワード
アムステルダム(オランダ)ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢テオドルス・ファン・ゴッホナショナル・ギャラリーヒマワリファン・ゴッホ美術館フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホフィンセント・ファン・ゴッホヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲルロンドン(イギリス)愛知県美術館東京都美術館
(エンディング)
エンディング

エンディング映像が流れた。

(番組宣伝)
ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢

ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢は、東京都美術館で12月21日まで開催中。

キーワード
ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢東京都美術館
歴史探偵

歴史探偵の番組宣伝。

大河ドラマ べらぼう

「大河ドラマ べらぼう」の番組宣伝。

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.