- 出演者
- 櫻井翔 大沢あかね 小峠英二(バイきんぐ) キンタロー。 橋本大輝 信子(ぱーてぃーちゃん) すがちゃん最高No.1(ぱーてぃーちゃん) 金子きょんちぃ(ぱーてぃーちゃん) ゆうちゃみ 秋元真夏
オープニング映像。
“忘れられない1日”を秘蔵映像、再現VTR、本人がトークする人生深堀りバラエティー。
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- 西村瑞樹
すがちゃん最高No.1は中学1年から高校2年まで実家で一人暮らしだった。子供の頃の写真は中学時代の卒業アルバムの1枚のみ。母親は3歳の時に他界した。父親が他に家庭を作って出て行き、伯母が上京し、小6の時に祖父が病死した。祖母は施設に入り、12歳で一人暮らしに。日々の生活費は伯母の仕送りと祖母の年金の一部。公園で草を摘み調理して食べていた。父親は年に何回か帰ってきてたくさん食べさせてくれることもあった。父親の借金取りが家に来たが、雑草を食べているのを見て雑草卵炒めを作ってくれた。その後、奨学金を借りて東京の放送系の専門学校へ行き、通販番組を制作する会社に就職した。やりたいことをやって生きる父への憧れもあり、芸人になった。5年ぶりに父親と再会した。
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- 中1、一人暮らし、意外とバレない山形県
すがちゃんは一人暮らしをしていた当時は周りにバレないようにしていたという。VTRを見た小峠は「俺すがちゃんじゃ笑えないよ」と言った。すがちゃんの父親と飲みに行った時に「お前はブスだから金払え」と信子は言われたという。
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- ナダル
父親と再会して以来、幼少期の関係を修復するかのように会う機会が増えた。実の父親と息子が街でナンパして飲み会をした。ツッコミが父親とのコミュニケーションツールになったという。
いつものように父親に呼び出され店に行くと、飲み友達の女性から父親は悪性リンパ腫だと聞かされた。その後、父親の容態が悪化、緊急手術を行い入院した。すがちゃんは医師から余命宣告をされた。それでも父親は看護師さんをナンパしたりして、カッコイイなと思ったという。2021年8月10日、病院に会いに行くとビールを買ってこいと言われた。すがちゃんはビールを買いに行く時間で父親が死ぬと自覚してしまい、1秒が1分、10分で動いている世界にいるみたいな感覚だったという。病室に戻ると「お前もカッコイイ生き方をしろ、No.1っていうその名前にふさわしい生き方をしろ」と言ったという。翌日、父は息を引き取った。すがちゃんがいない時は看護師さんに泣き言ばかり言っていたことが後にわかった。
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- 悪性リンパ腫
乾杯した日だけは親父の目に力がなかった、もっと親孝行しとけばよかったとすがちゃんは話した。
櫻井翔の父親はおっちょこちょいな人だったという。家族で伊豆下田へ旅行に出かけた時、ある小学校の前を通り過ぎた時にオリジナル校歌を即興で作ったという。
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- 下田(静岡)
橋本大輝の1番長かった日はパリオリンピック団体決勝の日で、鉄棒に向かうまでの時間は長く感じたという。演技に入る前から終わるまでの景色は全部覚えているという。
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- パリオリンピック
橋本大輝は6歳で体操を始めた。高校生で才能が開花、白井健三に続く2人目の現役高校生日本代表に選ばれ、世界選手権に出場した。団体で金メダルを獲る目標を掲げた東京オリンピックで橋本は個人総合市場最年少で金メダル、種目別鉄棒でも金メダルを獲得したが、団体では0.103の差でROCに敗れ銀メダルに終わった。パリオリンピック2か月前、橋本は右手中指の靭帯を負傷した。理想とはかけ離れた状態でパリオリンピックを迎えた。東京オリンピックで個人総合金メダルを獲った時は人生で1番短かった日だったという。団体予選ではケガの不安と重圧からか、思い描く演技とは程遠い結果だった。他のメンバーの活躍もあり、中国に次ぐ2位で決勝進出した。
橋本はパリの映像は見ていないという。メンバーと同じ部屋でゲームをしたのが癒やしだったという。
男子体操団体決勝当日、橋本大輝は1種目目のゆかで不安を払拭する演技を見せた。2種目目のあん馬ではまさかの落下で逆転を許してしまった。橋本はサブ会場で次の跳馬の練習に取り組んでいた。失敗を乗り越え最高の演技をした。鉄棒で会場が日本ムードになると、中国の選手が大幅な減点で日本が逆転。金メダルは橋本の演技に託された。しゃがんで集中する橋本にニッポンコールが起こっていけるんじゃないかと思った。橋本は演技を成功させ、日本は金メダルを獲得した。
橋本は高校生の時に団体金メダルの目標を色紙に書いた記憶がないと言った。競技後、橋本は鉄棒に感謝を伝えたという。
小峠はラジオ局の地下駐車場に車を停めていて、インキーをしてしまい、旧車だったので全然開かなかったという。櫻井はソ連のゴルバチョフ元大統領に取材した日はすごい緊張したという。ゴルバチョフの孫は今もファンで応援しているという。
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- ミハイル・ゴルバチョフ嵐
1999年、ギャルたちのカリスマだったのが浜崎あゆみ。歌だけでなくメイクやファッションも人気で、17歳のキンタロー。も憧れていた。29歳でモノマネ芸人となり、前田敦子のモノマネで大ブレイクした。大好きな浜崎あゆみのモノマネは生半可の気持ちではできなかった。2023年、フジテレビの「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」で披露する新ネタを作らなければいけなかった時、偶然つけたテレビでマイクにすごくこだわっている浜崎あゆみのモノマネで他と差別化できると考えた。このネタは番組本番で大ウケ、インスタグラムに投稿すると浜崎あゆみ本人が見ていて、「カウントダウンLIVEで一緒に歌いましょう」とコメントがあった。2023年12月31日、キンタロー。は一番憧れていた人に会えた。
浜崎あゆみのカウントダウンLIVEでキンタロー。はダンスをあゆに褒められた。
世界の果てまでイッテQ!の番組宣伝。
橋本大輝は「ことし5月の代表選考会で跳馬の着地が決まった谷川航選手のモノマネ」を披露した。
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