- 出演者
- 嶋佐和也(ニューヨーク) 屋敷裕政(ニューヨーク) 田中裕二(爆笑問題) 太田光(爆笑問題)
今回は平成のJ-POPに何が起きていたのか、貴重な映像とともに振り返る。
音楽番組「ポップジャム」は93年から2007年まで放送され、爆笑問題は98年から2000年まで司会を担当した。初代は本木雅弘で、94年から98年まで森口博子が担当。また、平成の31年間でミリオンヒットを記録したのは約250曲。太田光によると、宇多田ヒカルが出演する音楽番組は視聴率30%超えを記録し、MCとして出演を希望していたという。だが、初出演した時、爆笑問題はMCではなかった。
ニューヨークは中学時代、浜崎あゆみを手が届かないカリスマとして観ていた。一方、爆笑問題は浜崎の変化に驚かされたという。田中裕二はGLAYの人気に驚嘆し、途中でパフォーマンスして貰うと観覧客が帰ってしまうほどだった。TAKUROは今と変わらずお笑い好きで、TERUは廊下で練習していたという。ニューヨークの2人はTAKUROの家を訪問したことがあり、ミリオンヒットを達成したからと得心がいく豪邸だったという。
ポップジャムにGLAYがゲストで出演した当時、観覧客の歓声が凄く、爆笑問題は会話の内容が全く分からないほどだったという。また、爆笑問題は紅白歌合戦で漫才を披露したことがあったが、観客の視線は豪華な衣装の小林幸子に向いていた。
田中裕二はTAKUROに曲作りに関して訊ねたところ、「まだまだストックあるんです」と言われ、驚いたという。続いて、TKプロデュースを特集。DJ KOOが番組にメッセージを寄せ、「masquerade」には印象的なギターフレーズがあるが、小室哲哉がシンセサイザーで弾いていることを明かした。そして、ナビゲーターを務める「歌える!青春のベストソング」を告知した。
95年4月に放送されたポップジャムから、TRFが「masquerade」を披露する映像を紹介。
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- masqueradeTRFポップジャム
ポケットビスケッツ、ブラックビスケッツをはじめ、平成では芸人も曲をリリースしてヒットを記録。爆笑問題も爆チュー問題として楽曲を発表している。Something Elseは「電波少年」の企画から誕生し、制作した曲が初登場20位以内に入らなければ即解散・転職という条件があったという。
99年2月に放送されたポップジャムから、Something Elseが「ラストチャンス」を披露する映像を紹介。
ニューヨークは1つの番組で話題となれば芸人としての知名度は急上昇と思っていたが、その考えは覆されたという。また、太田光は爆笑問題としての営業で200人が集まったのに対し、「電波少年」の企画で帰国した猿岩石を見ようと2000人が集まったエピソードを披露。さらにポップジャムでサザンオールスターズの「私の世紀末カルテ」の替え歌を作る企画があり、爆笑問題はサザンによる演奏のもと、歌ったことがあった。田中裕二はモーニング娘。が人気者になっていく過程が面白かったという。
爆笑問題はモーニング娘。に加入した後藤真希に注目し、10代に似つかわしくない美貌について西川貴教と歓談したことがあった。続いて、ドラマ主題歌に注目する。田中裕二は太田光から藤井フミヤが主題歌を歌う「あすなろ白書」を勧められたのを覚えているという。今回、修二と彰の「青春アミーゴ」を紹介。
家族で選ぶにっぽんの歌から、修二と彰が「青春アミーゴ」を歌う映像を紹介。
「青春アミーゴ」が話題だった当時、嶋佐和也は大学生で、山下智久にあこがれて同じヘアスタイルだったことを明かした。爆笑問題の2人は「ポップジャム」の映像を観て、MCをしていた当時のことが思い出されたという。
屋敷裕政は「ザ・グレイテスト・ヒッツ」を告知した。