- 出演者
- 城島茂 国分太一
オープニング映像。
復活させた棚田で慎太郎は重機を使い苗小屋作っていた。米の苗は本来、日がよく当たり温度や湿度を管理できるビニールハウスで育てるのが一般的。慎太郎は太一から苗小屋作りを任せられていた。慎太郎はまず以前、カメムシ対策でお世話になった菅野寿希也さん兄弟のもとを訪れた。今回はビジールハウスと小屋のハイブリッドを作るという。解体された横ログの材料があるという。解体された横ログはプラモデルのように組み立てれば初心者でできる。横ログの材料を棚田まで運び小屋づくりを開始した。小屋は6畳に決定しその長さに木材を切っていった。地元の人の手もかり作業開始からわずか30分で、高さ120cmの壁ができた。竹で7本分のアーチを作りビニールを被せて苗小屋が完成した。
1か月前、船長の太一が不在のすきに城島とリチャードと慎太郎の3人が、船を勝手に屋形船に改造してしまった。太一は帆を外しアウトリガーを船につけていた。今まで見たことない魚を釣りたいという。太一とスタッフの2人はポイントを決め釣りを開始した。開始4分で太一はカワハギを釣り上げた。
6月1日~9日、明治公園でDASH島のお宝を展示。
- キーワード
- 明治公園
改造屋形船で釣りを開始。スタッフのランボーはDASH島初となるチダイを釣りあげた。開始から40分、太一らはカワハギ2匹、チダイ2匹を釣り上げた。舟屋に戻り、太一はスタッフに教えてもらいながら、魚をさばいた。カワハギのお刺身を食べ太一は「コリコリ、これはうまいよ」などと話した。残りのカワハギとチダイは炭火焼に、さらにもう1匹のチダイはお造りにして味わった。
太一、リチャード、慎太郎は竹でんちを完成させた。この竹でんちを使い今度は電話を作ることにした。
太一らはまず電話の歴史を勉強するため東京・武蔵野市にあるNTT技術資料館を訪れた。日本の通信の始まりは、1854年、ペリーがモールス電信機を持参したことから始まった。1869年、東京-横浜間で公衆電報が開始した。モールス電信機は電気の長・短の組み合わせで文字を伝えるものだった。1876年にアレキサンダー・グラハム・ベルがベル電話機を発明。音声を電気信号へとへんかんする原理を発見した。その技術が日本に伝わったのは1890年だった。1896年にデルビル磁石式壁掛電話機が誕生した。太一の母親は電話交換手をしていたという。1926年、日本初の自動交換機が導入された。黒電話の開発に携わった大賀寿郎さんに話を聞くと、デルビル電話機ならDASH島でも可能だという。マイクは金属板と炭、イヤホンは磁石とコイルがあれば作れる。リチャードらは本当にできるのかアルミホイルなど身近なもので実験を開始した。
リチャードらが作った簡易電話機は見事通話に成功した。太一は「声って振動なんだなってわかる」などと話した。音が聞こえるのは声による空気の振動が耳の鼓膜を震わせるため。距離が遠くなると空気の振動が分散し聞こえづらくなってしまう。声による空気の振動を電気の信号に変えれば電線を通り遠くまで声が届く。これが電話の仕組み。太一らは島に戻り電話の試作機作りを開始した。
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