- 出演者
- 名越康文 田中雅美 中山秀征 滝菜月 坐間妙子 河出奈都美 森詩絵里 黒田みゆ 安村直樹 アーロン・ズー 長嶋一茂
1986年創業の北陸を代表する温浴施設「スパ・アルプス」はサウナーの聖地としても有名。雑誌「SPA!」のサウナ大賞で3年連続入賞。スタッフ・穴口伸治の案内で休憩エリアを視察。仮眠室、カプセルルームなど。海鮮処アルプス食堂は旬の食材や新鮮な海の幸を味わえると人気。一番人気は「海津屋氷見うどん御膳」。
北陸を代表する温浴施設「スパ・アルプス」を視察中の体格ブラザーズ。脱衣所で富山体格披露の儀。富山県最大級の大浴場。スパ・アルプス一番の特徴は水。シャワー、お風呂のお湯、水風呂の水に北アルプス水系の天然水を使用。サウナは大量のサウナストーンを積んだロッキーサウナ。15分に1度のオートロウリュで常に高い湿度が保たれている。熱波師によるアウフグースも1日に複数回行われ、穴口も熱波師として活動。
サウナで汗を流したTBたちは自慢の天然水の水風呂へ。富山まつりwith体格祭でスパ・アルプス&体格祭コラボペットボトルと店の優待券を配布する。富山まつりwith体格祭は9月26、27日、富山城址公園周辺で開催。
9月26、27日、富山城址公園周辺で富山まつり with 体格祭を開催。27日は体格ブラザーズも来場。
長嶋一茂を紹介した。中山が「ジャイアンツ面白くなってますね」、長嶋が「なってるね。いまゲーム差ないでしょ。ジャイアンツは優勝しますね」などとコメントした。
去年訪日外国人客が過去最多を記録するなどインバウンドで賑わう日本(出典元:日本政府観光局(JNTO))。一度は下火になったある観光スポットを訪れる人数がV字回復中(出典:第3次かわさき観光振興プラン(概要版))。問題:今V字回復している観光スポットは?、正解は「川崎市の工場夜景観光」。夜景専門家オススメの工場夜景を巡る。コスパ最高、2人で行けば見て、食べて、感動して、1人あたり5030円。シルバーウイーク旅へ。
新日本三大夜景・夜景100選事務局代表・縄手真人が工場夜景を案内。川崎市の工業地帯は工場夜景発祥の地と呼ばれる。夜景専門家オススメの陸海空の絶景スポットを巡る。やす子初の男性と2人で夜景ドライブツアーへ。まずは空からの工場夜景スポット。川崎マリエン(川崎市川崎区東扇島)へ。地上51mから見える工場夜景。縄手が夜景撮影テクニックを伝授した。
至近距離で見られる陸の夜景スポット。湾岸線から夜景ゴールデンコースのある川崎線へ。
まじっすか的シルバーウイーク旅。首都高から眺められる陸の絶景。浮島町の工場。縄手によると川崎線は川崎市街方面へ向かう道が高い視点から眺められオススメ。
川崎工業地帯のテッパングルメ。ラーメン中華食堂 新世。昭和62年開店以来工場で働く人たちに30年以上愛され続ける名店。看板メニューは「チキンチャーハン」。しょうゆベーススープとたっぷりのニンニクとの相性が抜群の川崎名物グルメ「アホーメン」。
海からの工場夜景を堪能できる穴場スポットへ。千鳥運河の工場夜景。手前は海、奥の埠頭沿いに工場が建ち並び、明かりが水面に反射して幻想的な夜景が。縄手が水面に反射する夜景をきれいに撮るテクニックを伝授した。iPhoneではLive Photosで撮影。撮影した写真の設定を「Live」から「長時間露光」に変更。その他のカメラでもシャッタースピードを3~4秒に設定すると美しい水面の夜景写真が撮れる。
「ZIP!」の番組宣伝。「賢いごみ出しテクニックって何だ?」を伝える。
やす子が夜景をきれいに撮る長時間露光撮影に挑戦した。
やす子が行ったシルバーウイーク旅の写真を紹介した。長嶋が「3秒か4秒ってどうやったらいいの。そこからなんだよね」などとコメントした。
続いては「らぶいーず」。
9月20日は「バスの日」。明治36年のきょう、京都市内で日本初のバスが運行した。2020年、茨城県堺町で日本初の自動運転バスの定期運行開始。全国の多くのエリアで実証実験が進められている。今週はバスの歴史を大調査。
日本バス友の会事務局長・村岡真一にバスの歴史を聞いた。明治36年、日本初のバスは屋根なしの6人乗り。大正時代に入ると全国で本格的なバス事業が立ち上がり始める。当時は運転手と少年車掌がバスに乗り運賃を徴収。大正9年、バスガールが誕生。東京の路線バスに日本初の女性車掌「バスガール」が乗務を開始。初めて採用されたバスガールは19~30歳の37人。当時としては給料が高く、まだ和服が主流の時代にモダンなスーツ姿のバスガールは女性たちが憧れた花形の職業だった。大正時代のバスガールの貴重なインタビューが残っていた。大正時代は鉄道が交通の主役。ある出来事をきっかけにバスが注目されるようになる。関東大震災後の東京、アメリカのフォード社から約800台のバスを緊急輸入。江戸東京博物館に展示されている当時のバス。「円太郎バス」という愛称で親しまれ、震災から約4か月のスピードで開業。現在の都営バスの始まりとなった。
昭和23年、現在のはとバス社の前身となる新日本観光が誕生。「観光バスで日本を立て直す」という決意のもと昭和24年に定期観光バスの運行を開始。上野を出発し、皇居や浅草などを約3時間半かけて巡るコースや東京五輪翌年の昭和40年、オープンバスを導入。“演歌の女王”八代亜紀は中学卒業後上がり症を克服するため地元熊本でバスガイドの道を選んだ。
高度経済成長期に突入するとワンマンカーが誕生。昭和36年、条件を満たせば車掌を乗せなくてもよいと規制が緩和され、全国のバスがワンマン化。自動ドア、料金箱、降車ブザーが登場した。
昭和53年、歴史的な交通ルールの変更が。昭和47年にアメリカから日本に返還された沖縄。本土復帰後も6年間はアメリカ統治時代と同じ車は右、人は左という交通ルールだった。バスの運転席や乗降口は本土と逆。昭和53年のルール変更に向け沖縄のバスドライバーからは不安の声が。右側通行から左側通行に変わる昭和53年7月30日午前6時、沖縄でも一斉に日本本土と同じ左側通行に。ルール変更直後には事故が多発。年間を通してみるとこの年沖縄では前の年より約350件事故が減った(沖縄県警察のデータを基に作成)。
