- 出演者
- 塚原愛 岡村隆史 YOU 白岩瑠姫(JO1)
チコちゃんが挨拶をした。ゲストはお薬を炭酸ジュースで飲むJO1白岩瑠姫さんと最近自転車って便利だなと気付いて「どこまででも行けるな」と思ったYOUさん。
「なぜ写真を撮るときに日本人はピースをする?」というクイズが出されスタジオで答えを予想した。世界の方々に写真を撮るときどんなポーズをするか聞いてみるとアメリカは「肩を組む」、イタリアは「腰に手を当てる」、メキシコは「顔だけ違う方向を見る」、ブラジルとオランダのご夫婦やドイツやフランスなどは「ポーズなし」だった。東京スカイツリーでピースをしている人に聞いた。正解は「井上順のせい」。恵泉女学園大学の桃井和馬教授の解説。井上順さんは1963年、16歳のときにザ・スパイダースに加入しボーカルとして活躍。バンド解散後もタレント・俳優として活躍。まずピースサインが世界的に広がったきっかけは諸説あるがベルギーの元法務大臣ヴィクトル・ド・ラブレー。第2次世界大戦真っ只中、ヒトラー率いるドイツがベルギーを制圧した。ラブレーはベルギーの公用語であるフランス語のVictoire(勝利)とオランダ語のVrijheid(自由)などの頭文字をとってVサインを作った。ベルギー国民に「この国を占領する者に同じサインを繰り返し見せつけて彼らがベルギー国民に取り囲まれていることを知らしめ最初の失敗を犯すことをわれわれが今か今かと待ち構えていることをわからせようではないか」と説明しベルギー国民の一致団結・ドイツへの圧力をかける狙いがあった。V for Victory(勝利へのV)キャンペーンとしてイギリスなどにVサインが広がる。1945年、ドイツは無条件降伏しその翌日イギリスのチャーチル首相は群衆の前でVサインを披露し勝利を宣言した。これがVサインが世界中に広がるきっかけに。Vサインがなぜピースサインとして広まったのか?きっかけは1969年にアメリカ・ニューヨークで3日間にわたって開催された伝説のコンサート「ウッドストック・フェスティバル」。愛と平和をテーマに約50万人を集めた。当時カリスマ的人気を誇っていたジミ・ヘンドリックスがアメリカ国歌を演奏しながらVサインをした。そこにはベトナム戦争を続ける国家に勝利し平和を取り戻すという痛烈な皮肉が込められていた。アメリカ大統領のリチャード・ニクソンは演説中などにVサインを披露していた。戦争に反対する人々も「ピース」の掛け声とともにVサインを掲げ反戦デモを行ったことから戦いの勝利を意味するVサインだけでなく平和への意思表示としてピースサインが世界中に広まった。井上順さんとピースの関係は?1972年ごろ井上さんは小型カメラのCM撮影でアメリカへ行ったときにホテルやレストランでもピースサインを何度も見聞きしたという。アドリブで「ピース!」と言ったCMが大きな話題になり人々も写真を撮るときマネするようになった。茨城県に住むスタッフ橋爪の家族のアルバムを確認するとCM公開前の1972年以前にピース写真はなく、1977年の写真にピースがあった。桃井先生によるとピースサインはもともと一部の反戦でで使われていたが一気に広まったのはジミ・ヘンドリックスの影響だという。
オープニング映像。
「なぜ誕生日を祝う?」というクイズが出されスタジオで答えを予想した。もともと日本には誕生日を祝う習慣はなかった。林家ペーさんパー子さんに聞いてみた。正解は「誕生日に年をとることになったから」。国立歴史民族博物館の新谷尚紀名誉教授の解説。日本では生まれた瞬間から1歳とし元日に全員一斉に年を取る「数え年」が根付いていた。数え年は命をいくつ持っているかという年の数え方で人間は生まれた瞬間から1つ命を持っている。新年を迎えると魂が1つ増えるという考え方。大晦日~元日にかけて「年取り」のお祝いをした。そのため誕生日に年をとる概念はなかった。明治35年、年齢計算に関する法律が公布され西洋文化に合わせて誕生日に1つ年をとる「満年齢」を採用。しかし国が満年齢を推し進める一方で昭和に入ってからもほとんどの人々は数え年を使い続け、その結果いろんな問題が起きた。問題その1、出生届の不正提出。特に12月生まれの場合、どうせ1月には年をとるからと年明けまで出生届を出さない人が多かった。当時の統計を見ると12月生まれが不自然に少なく1月生まれと比べると10万人以上の差があった。問題その2、数え年と満年齢が混ざって食糧配給が変。戦後、満年齢に応じて食べ物が配給されていたが、数え年でやりとりされたため12月1日生まれの赤ちゃんは数え年では元日に2歳なのでキャラメルやビスケットなど食べられないものが配給されてしまった。昭和24年、年齢のとなえ方に関する法律が公布され満年齢を常に使用することが改めて義務付けられた。すると数え年32歳の人は30歳となり2歳若返ることになる。当時終戦直後でお金や物もなく暗い雰囲気だった日本だが山本勇造議員は「年齢が若くなったような気がいたしまして、国民の心がなんとなく明るくなるような気がすると思います」と発言している。さらにアメリカ文化の影響で誕生日にケーキを食べるようになったりと習慣が広まった。一方で満年齢で残念と思っている人もおり100歳を超えた高齢者は半分になったという。
「コンパス」って言いながら「パソコン」と書けない現象を検証。まずはスタジオで検証すると岡村と塚原アナは書けず、続けて白岩は「カステラ」と言いながら「マラカス」と書くことに挑戦するが失敗。YOUは「くろまめ」と言いながら「しろまめ」と書くことに挑戦するが失敗した。坂井建雄特任教授によると脳が混乱しているためこの現象が発生するという。
番組では「こんなん」大募集と告知。
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「噴水ってそもそもなに?」と出題。正解は「水道のゴミ詰まりチェッカー」。松井三郎教授にようると始まりは紀元前4世紀、古代ローマの時代で当時、領土を拡大した結果人口が増え、井戸が不足していた。さらにローマの周りには山がなく地下水源も少なかった。そして政治家のアッピウス・クラウディウス・カエクスが水道を作った。その水道は水源から街までなだらかな勾配で運ぶという仕組みで1kmにつき平均5mの勾配でこれは日本の建物の排水勾配の基準にもなっている。
ローマまでの見時は常になだらかではないため水道橋を作った。その後水は貯水槽に貯められそこから水道管が張り巡らされ貴族の家や公衆浴場などへ運ばれ最終地点が噴水だった。ローマでは水をきれいに使い続けるため点検・整備を行っており水道管のつまりをチェックしていた。噴水がだんだん派手になったのは誠治が関係している。度重なる内乱を経て帝政ローマとなり市民からの支持率をアップするため憩いの場となっている噴水で政治力・財力の誇示していた。松井三郎先生が驚いた噴水としてレマン湖の大噴水と紹介した。
視聴者の皆さんからのおたよりをご紹介。「緊張すると声が小さくなってしまう時どうすればいいですか?」と質問。小さい声を指摘されるとさらに小さくなるのではなどから大きい声を出した方が良いのではなど話す。
チコちゃんに叱られる!の次回予告。
「チコとあっち向いてホイ!」が行われた。