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オープニング映像。
今回は…フィリピンに捨てられた日本人を取材した。
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戦前フィリピンには多くの日本人が移住し、麻の栽培などを行っていた。最盛期には約3万人が暮らし、フィリピンの人と結婚して家族を持った人も多くいた。寺岡カルロスさん(92)は日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれた日系2世。みんな仲良く暮らしていたが、日本軍がフィリピンに侵攻して暮らしが一変した。フィリピン人の一部は抗日ゲリラとなって活動し、日本人は憎悪の対象となった。兄2人は日本軍に徴用され、寺岡さんは母・2人の妹・弟とジャングルへ逃げ込んだが、アメリカ軍の爆撃にあって母・妹・弟を亡くした。生き残った妹と逃げ続け、終戦から1カ月後に米軍の捕虜となった。長兄はスパイの容疑で日本軍に銃殺され、次兄はフィリピンゲリラに捕まって首を切られたという。
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残留日本人2世のウエハラ・パムフィラさん(85)はフィリピンのリナパカン島で妹たちと暮らしている。戦争が始まると、父は「ウエハラ」を名乗ることを禁じた。日本人だと分かるとゲリラに殺されるおそれがあった。トラックで連れて行かれた父は戻ってこなかった。フィリピンでは戦後も激しい反日感情が続き、小学校までしか行くことができなかったウエハラさんは貧困に苦しんだ。当時のフィリピンでは子どもは父の国籍に属すると法律で決まっていた。日本との関係が切れてしまったウエハラさんは「無国籍」になってしまった。ウエハラさんは「日本人」と認めてほしいと願い続けている。
NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンターは無国籍となってしまった残留日本人2世の日本国籍を回復する支援を行っている。モリネ・リディアさん(80)はフィリピン人の母から聞いた記憶を頼りに戦時中に亡くなった父の事を伝えようとしていた。4人の兄弟のうち2人は他界。5歳上の姉・エスペランサさんは島の対岸に暮らしている。日本国籍を回復するためには多くの困難が立ちはだかっていた。
ダバオで年に1度の日系人会の総会が行われた。無国籍の2世も6人が参加した。取材班は戦前の日本人移住者の写真をカラー化し、見てもらった。
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- ダバオ(フィリピン)
日本国籍を回復するための申請は弁護士が行い、証拠資料をもとに家庭裁判所が判断する。調査開始から20年となり、304人が日本国籍を回復したが、モリネさん姉妹は父親と思われる男性と親子関係を証明する書類が無かった。そこで日本国内の親類を探す新たな調査が始まった。
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フィリピン日系人リーガルサポートセンターの猪俣さんはモリネ姉妹の親類を探すため沖縄県を訪れた。沖縄県立図書館で沖縄の移民に関する資料がデータベース化されていることが分かり、モリネさんの父について調べると、弟がいることなどが新たに分かった。弟の孫から大叔父である父についての情報を得ることができた。終戦から77年が経ち、日本の裁判所へ申し立て中に亡くなった人もいるという。4年前に1069人だった「無国籍」2世は最新の調査で493人に減少した。日系2世の寺岡さんは日本政府に一括での救済を求め続けている。無国籍となってしまったウエハラさん姉妹の父親は米軍の捕虜になり、日本に送還されたことが判明したが、本人の出生記録が無く、進展がない状況となっている。
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