- 出演者
- 黒柳徹子 YOU 吉岡里帆 江原啓一郎
オープニング映像。
今回はNHK専属テレビ女優第1号としてテレビ放送黎明期から活躍してきた黒柳徹子が様々なスターから贈られた宝物の数々をNHKのアーカイブ映像と共に紹介。
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- ジャン・ピエール・カシニョール
最初の宝物は昭和の大スター・坂本九手作りのぐいのみ。1961年に放送が開始された音楽バラエティ番組「夢であいましょう」で黒柳と坂本九は共演を果たしている。「上を向いて歩こう」の大ヒットで知られる坂本と黒柳は姉弟のような関係で、坂本は黒柳を「てっこちゃん」と呼んで慕っていたという。テレビ黎明期に放送された「夢であいましょう」は生放送ということもあり、現代では考えられないようなハプニングも多かった。こうした苦労を共にしたこともあって、番組の共演者は皆仲が良かったと黒柳は語った。坂本は1971年に撮影所で出会った女優の柏木由紀子と結婚し、同年の紅白歌合戦には夫婦で出場。二人の娘に恵まれ、芸能活動をさらに増やすなど活躍していたが、1985年に日本航空123便墜落事故に巻き込まれ亡くなった。その知らせを受けた黒柳は柏木や坂本の娘を手紙や電話で励ましたという。ぐいのみはそのお礼として柏木が贈ったもので、生前の坂本が没頭していた手作りの笠間焼だという。
2つ目の宝物は昭和の大物歌手・越路吹雪さんから譲り受けた美容クリーム。越路吹雪は元宝塚の男役としても活躍した歌手で、シャンソンの女王と呼ばれ称えられた。黒柳は越路から度々歌の手ほどきを受けていた仲だという。美容クリームは56歳で早逝した越路から形見分けとして譲り受けたもの。世間では酒や煙草を嗜む「開放された女性」として知られた越路だが、私生活では夫を愛する素朴な女性としての一面もあったという。
3つ目の宝物は俳優・渥美清の声が吹き込まれた留守番電話のカセットテープ。黒柳は渥美清にケーキの作り方を教えたことがあり、テープにはその際のお礼のメッセージが吹き込まれていた。
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- 渥美清
4つ目の宝物は黒柳が昔から大切にしていたというカメラと王貞治の手の写真。黒柳は1971年にNHKを退社した後に留学したNYでカメラに没頭。日本に帰国した後も様々な動物の写真を撮影して回り、1983年には動物の写真集を発売。続く2冊目の写真集のテーマに黒柳は「働く男の手」の写真を選び、その際に王貞治の手を撮影したという。写真集は未完成となったが、この写真は王選手との思い出の一枚だ。
5つ目の宝物は昭和の大女優・森光子から贈られた着物とファックス。黒柳と森光子は来日したばかりのパンダを共に見に行くなど親交が深く、舞台やドラマでも数多く共演を果たしていた。二人は姉妹のように仲が良かったこともあって、森はNHKを退社した黒柳を自身の事務所に誘ったことも。森のライフワークとなった舞台「放浪記」には黒柳も出演したことがあるという。着物はこうした2人の友情の証なのだ。2人は互いを「オリーヴ」「ハニー」と呼び合っており、ファックスでもその呼び名が使われていた。このファックスが送られた後に森は死去するが、黒柳はかつて森と通っていた帝国ホテルの食堂で度々森の好きな野菜カレーを食べているという。