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オープニング映像。今回、矢沢永吉の最後のアメリカレコーディングに密着した。さらにレコーディングの合間のロサンゼルスをハーレーで走り、矢沢永吉の船を初公開する。
アメリカ・ロサンゼルス。矢沢永吉が長年音作りの拠点にしてきた街で18年11月にレコーディングに舞い戻った。今回7年ぶりにニューアルバムのために訪れたという。前回の「Last Song」で最後にしようと思っていたが5年出さないと決めると音楽が湧き出したくなると明かした。矢沢永吉は1981年32歳の時に単身渡米し音楽活動の場をアメリカに移す。当時について驚いたことついてうまいやつ、すげぇやつがいくらでもいて、それをみて日本の矢沢とか言ってる場合じゃねえなと思ったという。そして、思い出の地でもある「サンセット・サウンド」へと到着した。
サンセット・サウンドに今回のアルバム制作に参加するリーランド・スカラーなど凄腕ミュージシャンが待っていた。矢沢永吉は2つくらいの英語しかしゃべれないが100ぐらいの会話をすると話し、昔は通訳を入れていたが介してやると気持ちが入っていないと感じて通訳をどけたと明かす。今回のアルバムは9月の70歳を迎えることに発表するもので、仮歌は日本で録っているがどうしても欲しい音がありL.A.にきたという。「魅せてくれ」ではリーランドに2番で思い切りはねて欲しいなど要望を出す。その後も話し合いなどを行い曲作りを進める。
2019年7月、東京に戻ってきていた矢沢永吉に話を聞きたいと頼むとある所に来いと言われ向かった。招かれた場所は船。船は矢沢自身が3年ほどまえに設計にも携わった特注のクルーザーで4、5隻目だという。矢沢は運転が好きであると話した。矢沢は自分がぽつんとできるところ、自分だけの空間に居たいと思うようになったところもあるんじゃないかと話し、ライブで町から町への移動などの繰り返しを行いあっという間にもう70になんのかと感じたという。
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矢沢永吉といえばライブ、最大の魅力は凄腕外国人ミュージシャンを従えた圧倒的なパフォーマンスにある。始まりは33歳からで当時の日本人の度肝を抜いた。1981年に全世界に発売したアルバム「YAZAWA」は全曲英語で歌った。矢沢は本場に渡り、知り合って自信の奥底にあるものを揺さぶってくれ、来てよかったと思う。しかし、何年も何年もいるとただ洋楽にかぶれてびっくりしてショックを受け、そこに居るだけ?と思い始めてしまったという。
「矢沢の音楽とは何か?」と問い続け、いつの間にか69歳になったが前に進めていないという。ロサンゼルスレコーディングの2日目、ブラッドのスタジオでキーボードを録音する。このスタジオではマイケル・ジャクソンなどの楽曲も録音してきたという。最後になるかもしれない曲作り、大切にしている事があった。アルバムのテーマは「洋楽にしない、難しくしない、偉そうな音楽にしない」というもので海外すげえだろうそういうものではなくジャパンのジャパニーズというの大事にしていると話す。そして、アルバムのイメージを決める1曲めに取り掛かった。共にレコーディングをするガイとは20年来の付き合いである。
矢沢永吉はレコーディングの合間にやりたいことがあった。それはプライベートな仲間とのツーリング。矢沢は若い頃から愛してやまないバイクは矢沢のシンボルである。ツーリングは昔、北海道などで行った当時の仲間とツーリングを行う。途中でははスーパーに寄って、キャンプ用の食材を購入した。キャンプでは自分たちで火を起こし、肉を焼いたりし堪能。そして、翌日目的地であるサンタバーバラへと到着。サンタバーバラについて1990年に身内だけで挙式を挙げ、奥さんのファーザー役でエスコートしたのがドゥービー・ブラザーズのキース・ヌードセンだったと明かした。
最後になるかもしれないレコーディング。その前にどうしても会いたい友人が居ると明かす。ギタリストのマイケル・ランドウは矢沢の修羅場を支えてきた。20年以上の付き合いとなる盟友である。2人は1997年8月、ロンドンにある「ウェンブリースタジアム」で開催されたエルヴィス・プレスリー没後20年を記念したコンサート「SONGS&VISIONS」に出演。矢沢はアジア代表として招かれていた。当時について矢沢は歌うことが良いが、英語は喋れず日本人もひとりもいない状況で本当は怖かったと明かす。
矢沢は1949年の敗戦から4年後に広島で誕生。幼い頃に父は亡くなり、母は家出をして不憫に思った祖母が矢沢を育てた。貧しさにあえぐ毎日だったが唯一の救いがロックでビートルズを聞かなければ歌手にならなかったと思うと矢沢は語る。広島の駅から離れる時、本気でやろうとしているのかやお前酔ってんじゃないのと自問自答しながらもう1つの気持ちは恐怖心はあるが自分の物語が始まると思ったという。23歳の時にロックバンド「CAROL」でデビューし、がむしゃらに金と名声を求め続けた。そして、矢沢が吠える言葉は若者の心を突き刺した。
そんな矢沢永吉は48歳で人に騙され借金35億を背負った。それでも歌い続け借金返済を果たす。矢沢は人生を振り返り人生も捨てたもんじゃないと話した。69年ブレずに生き抜いた矢沢永吉は令和元年9月14日に70歳の誕生日を迎える。70歳の誕生日迎える9月に発表するアルバムは「いつか、その日が来る日まで…」と名付けられた。矢沢は60になった頃「人生ってこうだよねっていうふうに思った事は止めたらダメ」という事であるなど話した。それでももういいかなと思う日はいつか来ることでそれまでってこと思ったらこのタイトルに黙ってもそうなったという。
「いつか、その日が来る日まで」の収録ではガイに音色に少し温かみのある音をと注文した。矢沢はがっきょくについて同じ世代の人が聞いて年撮ることもそんなに悪いことじゃないよねというようなアルバムになってくれたらいいなと思うなど話す。
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矢沢永吉が「いつか、その日が来る日まで」を披露。
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船について手放すかもしれないという話もありスタッフは驚いており聞くと矢沢永吉は「あと何年歌えるかな」と考えた時に船卒業してもいいかなと気持ちがちょっと出てきたと明かす。そして、人生についてこれからの人生も自分なりにロマンでありたいなど話した。
矢沢永吉が「いつか、その日が来る日まで」を披露。
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エンディング映像。
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