- 出演者
- 小田切千 佐藤俊吉 片山千恵子 田中美都
「イスラエル軍 ガザで市街戦“本格化”」「ハチ公生誕100年 見つかった貴重な写真」「稲垣潤一さん“クリスマスキャロル”完成までの秘話」。解説コーナーは岩間宏毅さん。「ビジネスケアラー」経済産業省が企業向け指針策定。
日本ではパレスチナ人作家ガッサーン・カナファーニーさんによる半世紀以上前の小説が注目を集めている。36歳の若さで暗殺されるまでパレスチナ解放運動の体験をもとに描いた。軍事衝突が始まった先月以降、SNSで“今こそ読むべき作品だ”と注目され1,500部の重版が決まった。
教員の働き方改革などが国の審議会で議論される中、教員志望の高校生らがヒアリングを行い文部科学省に要望書を提出した。日本若者協議会のアンケートでは緊急提言について教員志望の学生6割、教員8割が「期待以下」と答えたとしている。要望書では当事者へのヒアリングを行うよう求めている。
ペルーを公式訪問している佳子さまは首都リマでボルアルテ大統領を表敬訪問された。佳子さまは着物姿で大統領府を訪ねられた。昼食会でお言葉を述べられ夜には日系人団体が運営する施設内の劇場で日本とペルーの外交関係樹立150周年の記念公演を鑑賞されました。
働きながら親などの介護をする「ビジネスケアラー」が仕事と介護を両立しやすくするため経済産業省は今年度中に企業が取り組むべき支援策を指針としてまとめることになった。この女性は認知症だった母親の介護が10年以上続いたが介護の問題を会社に打ち明けることはできなかった。ビジネスケアラーは2030年には318万人にのぼり経済損失は約9兆円にのぼると推計される。
ビジネスケアラーについて解説。ビジネスケアラーは働きながら親などの介護をする人たちのこと。年々増加しており2030年には家族介護者は833万人に上り、うちビジネスケアラーは318万人と推定されている。経済産業省は仕事と介護の両立困難などの影響で2030年の経済損失額は計9兆1792億円に上ると推計している。経済産業省の企業向けの指針案では介護に関する相談窓口の設置などの対応策を盛り込みたいとしている。専門家はどういう支援が必要か従業員と話し合ってすり合わせることが必要と指摘する。
政府の新たな経済対策では先端・次世代半導体の供給網の強じん化などを通じて国内への投資を促進するとしている。政府は今年度の補正予算案に半導体の生産・開発を支援する3基金を積み増す費用として約1兆9000億円を盛り込む方針を固めた。
政府が今国会に提出している特別職の国家公務員の給与を一般職に準じて引き上げる法案を巡り、首相は年46万円増、閣僚は年32万円増となり野党側から見直しを求める声が出ている。松野官房長官は賃上げの流れを止めないためにも改定を続けることが適切との認識を示した。その上で首相は3割、大臣・副大臣は2割、財務官は1割の国庫返納を申し合わせているとして法案の早期成立への理解を求めた。
- キーワード
- 松野博一
島根・津和野町の中継映像。
- キーワード
- 津和野町(島根)
茨城・平潟漁港から中継。県内有数の水揚げ量を誇るあんこうで町おこしを行っているという。あんこうを使った「どぶ汁」、「あん肝ラーメン」などを紹介した。
全国の気象情報を伝えた。
政府は物価高への対応などを柱とする新たな経済対策を実行するため一般会計13兆円程度となる今年度の補正予算案の編成を進めている。財源として昨年度の剰余金3兆円余などを活用するが不足分をまかなうため国債を8兆8000億円余追加発行する方向で調整を進めている。
日産自動車は2025年にかけてブラジルに約850億円を投資して2種類の新型SUVなどの生産を始めると発表。生産するSUVは20か国以上に輸出するとしている。南米最大の自動車市場であるブラジルではトヨタ自動車・中国の電気自動車メーカーなども新たな投資を打ち出している。
渋谷にある忠犬ハチは観光客にも大人気。忠犬ハチは今年で生誕100年。忠犬ハチは大正12年に教授の元にやってききた。教授は大学で倒れて帰らぬ人となってしまったが、忠犬ハチは10年近く渋谷に通い教授の帰りを待っていたという物語。忠犬ハチを証明する資料がなかったが、忠犬ハチが写っている1枚の写真が出てきた。写真を提供した大島さんは銅像のそばにある写真館にお願いして写真を撮った。写真のハチ公は下をむいているが、これは牛肉をもらって食べている様子なのだという。白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の松井圭太学芸員によると、この写真で当時全国から人々がハチ公に会いに来ていたことが証明された貴重な資料だとした。
東京・渋谷区の中継映像。
- キーワード
- 渋谷区(東京)
1992年にリリースされた稲垣潤一「クリスマスキャロルの頃には」。1年がかりで制作された。この曲が稲垣潤一さんの人生にどういう分岐点をもたらしたのか深掘りしていく。稲垣潤一さんは1982年に「雨のリグレット」でデビューした。
1992年にリリースされた稲垣潤一さんの「クリスマスキャロルの頃には」。当時、音楽活動から20年目を迎えていた。CMソングやドラマ主題歌などを歌い、数多くのヒット曲に恵まれた。キャリアを積むなかで、音楽を楽しめなくなっていたという。ライブとレコーディングの繰り返しで、歌わされているという気になってしまい、自分の中でもがいていた時期だったという。求められる役割を果たそうとひたすら走り続けているうちに、心が疲れていた。実家に戻り休暇をとっていたときに作曲家の三井誠さんからデモテープが届いた。サビを聴いていい作品になると思い、この曲を完成させたいと強く思った。そして、半年以上を費やしてメロディができた。作詞は秋元康さんが手掛けることになった。レコーディングは夏に行ったという。1年がかりで完成させた「クリスマスキャロルの頃には」売り上げ170万枚を超えた。この曲が稲垣さんに前向きな気持ちを与えてくれたという。マイクを向けるとお客さんが歌ってくれるようになり、ファンと一緒に歌える曲ができて、音楽を楽しんでいこうという気持ちになったという。