- 出演者
- 寺門亜衣子 今田耕司 峰竜太
オープニング映像。今回は峰竜太のファミリーヒストリー。
- キーワード
- 西部警察 PART-II
峰竜太(本名:下嶋清志)は代々酒屋を営む下嶋家の四男として生まれた。峰にとって酒屋”さかや”は事務所の名前に使うほど思い入れのある屋号。まずは酒屋を始めたという曽祖父・松次郎の足跡を辿った。松次郎が生まれたのは江戸末期。村でも豊かな庄屋。23歳になった松次郎は次男だったため本家を離れて分家して自分の家を持つ。松次郎は酒屋を開き、今は峰の兄が受け継いでいる。そんな松次郎の跡取り息子として明治1年に生まれたのが淳逸。峰竜太の祖父。松次郎は淳逸に教育を施し、成績優秀な子に育った。教員を目指した淳逸。酒屋を継ぐ人が他にいなかったため、淳逸は酒屋で松次郎の手伝いをしながら師範学校に通った。そして、大正2年に小学校の教員となった。家業の手伝いも続けた。しかし、教員としての充実した日々は長くは続かなかった。大正12年に松次郎が亡くなり、家業の酒屋に専念することに。淳逸の次男・次郎は峰の父親。高校を卒業した次郎は中国・大連へ向かい、現地で南満州鉄道の子会社・国際運輸社に入社し、社会人としての第一歩を踏み出した。しかし翌年、長男・太郎が亡くなったという報せが届く。そして、両親から思わぬ提案をされる。「太郎の妻と一緒になり、酒屋を守ってほしい」。提案を受け入れた次郎。太郎の妻だったちとみと結婚した。
急な結婚の後、召集令状によってひと月で離れ離れになった次郎とちとみ。ちとみはここに至るまでどのように歩んできたのか。母方・齋藤家のルーツを辿った。齋藤家が代々暮らしてきたのも長野・下條村。峰の兄・俊二は齋藤家に婿養子に入っている。齋藤家は江戸時代に船問屋を営み、周辺の村から集めた農産物などを取り扱っていた。ちとみの祖父・玉三郎は船問屋だけでなく手広く商売をしていた。その玉三郎の長男がちとみの父・誠護。誠護は養蚕に力を入れ、事業に成功している。誠護の娘として育ったちとみは謙虚さを受け継ぎ朗らかな女性だった。
峰竜太は「こっちまで辛くなってきますね。母の気持ちは計り知れない」などとコメントした。
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- 下嶋ちとみ
結婚から1か月後、次郎は太平洋戦争に出征する。配属先はかつてビジネスマンを夢見た満州。対ソ連を警戒する国境警備部隊だった。その後、静岡・磐田市にあった東海五五二部隊に転属。終戦を迎え、次郎は2年ぶりに下條村に戻った。次郎とちとみはこの時から酒屋を継ぎ、新たな夫婦として生活を始めることとなった。昭和27年、2人の間に生まれたのが峰だった。
峰竜太に影響を与えた一人が歌舞伎好きだった祖父・淳逸。高校卒業を控えた峰は俳優になることを決意。両親は峰の考えを否定しなかった。瞬く間に売れっ子となっていく峰に、母・ちとみは心配でならなかった。事あるごとに峰に手紙を書いて送っていた。手紙の文末には必ず同じ言葉が記されていた。「みのる程頭の下る稲穂かな」。
峰竜太は「今からでも今見たものを身にしみるようにこれから生活していかなきゃいけないなって思う」などとコメントした。
歌舞伎を愛し、峰の進路に強い影響を与えた祖父・淳逸。下條村の歌舞伎は、淳逸のひ孫で峰の甥でもある齋藤充が受け継いでいる。
最後に峰竜太は「おごっちゃダメですよね」と話した。
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