- 出演者
- 今田耕司 池田伸子 山田孝之
俳優・山田孝之。15歳から映画・ドラマで第一線で活躍している。
山田家にある戸籍の最も古い先祖は鹿児島・薩摩川内市で暮らしていた。山田助右衛門は山田孝之の5代前。島津家は薩摩藩の藩主を一族。先祖の山田家は島津家とつながりがある。系図に書かれていた最初の名前は島津忠久。鎌倉時代の武将で島津家の初代。山田氏は島津忠時と側室との間に生まれた忠継が初代と記されていた。側室の子・忠継は現在の鹿児島・山田町を与えられた。この地名にちなみ一族は山田姓を名乗るようになった。
山田孝之の曽祖父の山田正次。明治21年、山田家の5男として誕生。成績は優秀で落ち着いた少年だった。この時代、武士は禄を失い自暴自棄になるものが少なくなかった。借金がかさんだ。生きる道を模索した正次が選んだのは警察官。鹿児島県警に衝撃的な記録が残されていた。大正13年6月10日午後2時頃、殺人事件の急報が入り正次が竹刀をもち駆けつけた。犯人は青竜刀で4人を殺し小学校へ向かおうとしていた。だが正次が食い止めようと竹刀1本で立ち向かい犯人を取り押さえた。この活躍は一躍広まり正次は県知事や内務大臣から功労を称えられ巡査部長に昇進する。昭和26年、山田孝之の父・清孝が生まれる。祖父は警察官、父・正俊は公務員。清孝は自由奔放な少年へ成長する。高校卒業後は法政大学に進学。音楽に夢中になった。昭和46年、正次に継いで正俊が急死。学費を稼ぐためアルバイトを掛け持ちした。そして高田馬場の喫茶店で働いていたときにウエイトレスをしていた国仲ゆり子と出会う。その人こそ山田孝之の母となる女性。
山田孝之の母・ゆり子の生まれ故郷は沖縄・宮古島。さとうきびやタバコを販売していた國仲家は山田孝之の曽祖父・國仲慶義が人一倍働き畑を広げていった。琉球王国時代、島津家率いる薩摩藩に侵攻され財政負担を強いられた王府は宮古島・八重山に人頭税を課すようになった。國仲家は人頭税に苦しめられた。心の支えにしてきた言葉が「アララガマ」。山田孝之の祖父・正栄が誕生。次男だったため國仲家の畑を継ぐことはできなかったが資金をためて自力で畑を広げていく。正栄は二四歳のときに近隣の美しい娘・ヨシ子と結婚。そして昭和28年11月に三女としてゆり子が誕生。正栄は4人の子どもの父となった。昭和41年9月、観測史上最強の最大瞬間風速を記録した台風18号でサトウキビの7割が収穫不能となった。昭和46年には185日間も続く大干ばつが島を襲った。代々、暮らしてきた宮古島を離れる決意を固め、家族で那覇に移り住んだ。國仲正栄・ヨシ子は空港やビルの清掃員として働きながら新しい商売を始める資金をためた。当時、沖縄は返還前で正栄はホテルの経営を目指すようになる。そして52歳のときに念願のホテルを開業する。娘・ゆり子は高校卒業後、東京の会社に就職。掛け持ちでアルバイトをしていた喫茶店で山田清孝と出会った。山田清孝は大学卒業後、自動車会社に就職。しかし結婚を控えていた26歳のときに胃がんが見つかる。清孝の兄・俊孝はゆり子に真実を打ち明け結婚を考え直すよう伝えた。胃の大部分を摘出する手術で一命をとりとめ昭和53年に清孝・ゆり子は結婚。
鹿児島県で暮らし始めた。ゆり子は病み上がりの清孝、体調を崩していた祖母・シヅの看病にあたった。そして昭和58年10月20日に長男・山田孝之が誕生。娘2人の家族5人となった。会社勤めをしていた俊孝は山田孝之が3歳の頃、喫茶店を始めた。父・清孝は普通の存在とは違ったという。40歳を過ぎた頃から料理の世界に惹かれる。喫茶店に加え新たにイタリアンレストランを開業。喫茶店はゆり子1人で子どもを抱えながら切り盛りするようになった。新しいことに勢力的に取り組む清孝はレストランの仕事に追われる日々。次第にゆり子の負担が大きくなり20年の結婚生活に終止符を打った。ゆり子は中学生の孝之を連れて上京。吉祥寺で暮らし始める。2人の娘たちはすでに東京でモデルのしごとを始めていた。ゆり子はパートをしながら暮らしを立て直そうとしていたが不安な表情を見せることもあった。上京から6年、ゆり子は吉祥寺に沖縄料理店を開業する。
山田孝之は姉と原宿を歩いていたときにスカウトされる。平成11年、15歳のときに俳優としてデビュー。連続テレビ小説「ちゅらさん」でヒロインの弟役に抜擢され一躍注目を集める。しかし俳優として思うような仕事ができず苦しむ時期があった。そんな弟の姿を姉は近くで見てきた。これまでのイメージとは一変、不良少年役を演じた山田孝之。徹底した役作りで気迫ある演技をみせ高い評価を受けた。その後もニヒルな役を演じ切り活躍の幅を広げていく。山田孝之の底力には祖父・正栄から母・ゆり子へ受け継がれたアララガマの精神があった。
今、山田孝之は次の世代を担う役者を発掘するオーディションを仲間たちと企画。1本の映画を作り上げるプロジェクトに取り組んでいる。俳優業とにとどまらずプロデュース・監督など活躍の幅を広げ作品作りに情熱を傾けている。そして誰よりも山田孝之の活躍を喜んでいた母・ゆり子は令和元年に亡くなった。不屈の精神で厳しい時代を生き抜いた宮古の家に生まれ結婚後、見知らぬ鹿児島で母となり3人の子どもを育て上げたゆり子さん。
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